真田父子犬伏の別れの舞台である新町薬師堂に行った
真田父子犬伏の別れの舞台である新町薬師堂に行った
教科書の日本史には掲載されてない歴史の一コマですが、真田家に歴史にとっては重大な局面の場であった犬伏の別れ~これは関ケ原の戦いの前、徳川家康の元会津の上杉征伐に向かう途中、この犬伏という今は佐野市で石田三成から密書が届き、今後徳川家康に従う?石田三成に味方する?と真田昌幸、信幸、信繁(幸村)父子が話し合った結果、真田昌幸、信繁(幸村)が石田方、信幸が徳川方につくという兄弟、兄のである信幸から見れば父と弟を敵とする別れ、3人が話し合った地が犬伏だった事から歴史上「犬伏の別れ」と語り継がれてるんです。そしてその犬伏で話し合った場所がこの新町薬師堂ではないかとも言われてる場所なんです。
薬師堂の様子と感想や口コミ
NHK大河ドラマの真田丸でも「犬伏の別れ」のシーンは感動した人も多いのではないかと。その回最後の真田紀行ではこの新町薬師堂も紹介されてました。
そんな事もあって、桐生市からは割と近い真田ゆかりの地なのですが、近いと後でいいや~的に行ってませんでしたが、佐野ラーメンを食べに来た帰りにたまたま通った時にTVなどので見た光景がぁぁ。
「真田父子・犬伏密談図」は上田市立博物館に行った時に見ましたが、この密談の現場にいつか行ってみたいと思ってたんです。
せっかく来たので駐車場の裏手からも行けますが、表に回って表から行く事に。
六文銭が目立つお堂で戦国時代の歴史好き、真田一族も好きな私は感動!!
早速お参りしました。
他にあるのは東屋の休憩所のみでしたが、この地に、真田昌幸、信幸、信繁(幸村)がいたと思うと・・・・戦国ロマンを感じてしまいました。興味のない人にはわからないだろうなぁ~。
薬師堂前には犬伏の別れについての説明書きのパネルもありました。
「慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸、信繁父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。
その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。」と書かれていました。
説明書きパネルの横には「別れ橋」のあったとされる場所が記されてました。
この新町薬師堂前にある「あけみ寿司」の道路脇にありました。
橋があった面影、川があった面影もないので薬師堂の脇から見る事に。
そしてまた薬師堂を見つめ・・ちょっとだけロマンに浸りながら駐車場に向かいました。
拝観料は勿論無料!正直観光スポットと言えば地味だし普通の人なら佐野なら佐野厄除け大師に行ってしまうと思いますが、真田好きの人には憧れの地、真田観光スポットの一つなんでよね。
ちなみに歴史ロマンに浸ったとしても所要時間は10分ほどでした。
アクセス、駐車場
新町薬師堂:住所:栃木県佐野市犬伏新町2060番地2他 問い合わせ先:佐野市観光立市推進課
電話0283-27-3011
場所は県道75号線、日光例弊使街道と呼ばれる道路沿いにありました。すぐ前に「あけみ寿司犬伏店:栃木県佐野市犬伏新町2064-1」があるからカーナビセットはこのお店がいいかも。
さて、例幣使って何だ?と思ったので調べてみたら、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことであって江戸時代に朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣したそうでその勅使が通る道だそうです。この道路は京都から中山道を通ってこの佐野市を通り日光まで続いてる街道だったんですね。
高速道路から新町薬師堂へのアクセスは東北自動車道佐野SAスマートICから約2.1キロ車で約5分、佐野藤岡インターからなら約4.7キロ車で約10分、北関東自動車道佐野田沼インターから約6.6キロ車で約12分。
佐野厄除け大師から約4.5キロ車で約10分。
私の地元桐生市街地からなら高速使わずに約36キロ車で約60分。
駐車場はどこ?と薬師堂前を通り過ぎたら、お堂の裏あたりに発見!車を停めました。駐車場は無料でした。
コメント/口コミ