永井宿に行った(見どころ/感想)
永井宿
三国峠前上州最北端の宿場町、当時の面影残る街並みや永井宿郷土館がある
寛治(一〇八七~一〇九二年)の頃、奥州の安部頼時の家臣、長井左門兼政が安住の地を求めて放浪している途中にこの地で亡くなりましたが、その家臣たちはこの地にとどまり、長井と名付けたといわれています。
三国峠からの小道を整備したのは越後の上杉謙信で、その目的は関東に兵を進めやすくするためでした。その後、徳川の代となり、幕府は元禄二年(一六八九年)に長井宿を米問屋場に指定したことから「永井」に改められ、越後米の取引場として繁盛するとともに、参勤交代等の宿場としても栄、越後大名、佐渡奉行など多くの大名らが利用しなした。
中でも元和年代(一六一五~一六二四年)の越後の堀丹後守(堀直寄)の参勤交代では、一六〇~一八〇名程の規模のため、永井の全戸を挙げて宿舎の提供に努めたとの記録が残っています。
永井宿本陣は、安政七年(一八六〇年)一月十三日夜に本陣の物置を火元とする火災で、宿内十二軒とともに焼失しましたが、翌文久元年(一八六一年)四月には再建され、建物は間口十四、五間と雄大な手入切妻造の二階屋で柿板葺の建物でしたが、昭和八年(一九三三年)に売却され、翌昭和九年に解体されました。
この本陣の表側の緑の下部には波を渡る鬼が彫られた「もちおくり」の板がありましたが、今では僅かに一枚の写真と一枚の平面図だけが在りし日を物語っています。
目次
・永井宿郷土館
・本陣跡
・街並みと感想
・アクセスと駐車場
永井宿郷土館
住所:群馬県利根郡みなかみ町永井452-1 電話:0278-66-1343
入館料:高校生以上300円、小中学生150円
営業時間:9時~17時
休館日:木曜日(12月~3月冬季閉鎖)
駐車場:無料
繁栄当時の永井宿を中心とする資料や、この地の名勝、古跡、伝説、三国山系の高山植物、永井宿を訪れた歌人の歌等を展示し、子供から老人まで楽しく見ることができる郷土館です。
また、この資料館は猿ヶ京小学校分校跡地に建設され、この地域の集会場所や生涯学習の場としても活用されています。
永井宿郷土館には永井村を訪れた若山牧水の歌碑もあった
本陣跡
みなかみ町指定史跡永井宿本陣跡
一枚の写真と一枚の平面図しかない跡地でしたが、大きな建物の本陣だった事がわかります
街並みと感想
斜面にあった旧永井宿の今の街並み
昔の面影を感じる建物もある
民宿「和泉屋」は今でも泊まれる永井宿
集落自体はそんなに広くはなく「今の街並み」「本陣跡」「永井宿郷土館」と見どころも多いわけでもなかったですが、静かで時間がユッタリと流れてるような所で落ち着く場所でした。
アクセスや駐車場
永井宿へのアクセスは関越自動車道月夜野インターから約20.6キロ車で約25分
無料駐車場は永井宿郷土館にあるのでそこから散策
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