世良田東照宮に行ったよ
松平から徳川に改名した地の世良田東照宮(元の日光東照宮社殿)に行ったよ
三河の松平元康が徳川家康と名乗る事となった徳川氏発祥の地がこの群馬県太田市の世良田になります。
三河統一後に松平氏のままの姓では土豪の為に身分の高い官位がもらえないので徳川氏(源氏)と名乗る事で源氏となり高い官位が頂ける身分となった事になり征夷大将軍まで上りつめた事ができたというのは義務教育時代に先生から少し教わったのですが、中年になるまでその徳川氏発祥の地がこの世良田というのを知ったのはつい最近なんです・・・それも・・ここに来る5日前に岡崎城に行った時にボランティアガイドの方に姓の話しを説明されて・・あ~桐生人の前に群馬県人として恥ずかしい・・・・・・
また、この世良田東照宮の社殿は徳川秀忠公が家康公の遺言通りに作った日光東照宮の社殿(元日光東照宮社殿)なんです。今の日光の社殿は家光公の思い、この世良田の社殿には秀忠公の思いが込められてるんですよね。
という事で徳川という名前発祥の地、今はパワースポットとなっている早速世良田東照宮に行ってきました。
目次
1.境内の様子
2.拝殿・本殿・宝物館の様子や・拝観料・拝観時間
3.御朱印帳と御朱印
4.世良田がなぜ徳川発祥の地?
5.ご利益
6.行って見た感想や口コミ
7.初詣に行った時の様子
8.【2023年】年間行事、資料
9.桜の見頃は
10.アクセス・駐車場
境内の様子
御黒門から拝殿を見てみる・・・一昨日久能山東照宮にお参りに行ったばかりなので・・煌びやかさなどであれ?しょぼく見えちゃいました・・日光東照宮、滝山東照宮(愛知県岡崎市)、鳳来山東照宮(愛知県新城市)とこの世良田東照宮は将軍家勧請の東照宮ですが・・う~ん、東照宮独特の派手さが薄かったですが古そう~って感じがしたのが第一印象でした。
古そうで今の日光のような派手さがない理由は、この世良田東照宮が1644年将軍家光によって世良田が徳川氏の先祖の地という事から日光東照宮古宮を移築し家康公をお祀りしてるんだそうです。
だから煌びやかになった今の日光東照宮の前の建築物だからそう見えちゃったんです。
でも今の日光のお宮より古い時代もののお宮が見られるから尚更良いという考え方もできますね。
さて、この御黒門は別名縁結び門で地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると伝えられてるそうです。
江戸時代は門が閉まっていて門の中に入れる人は限られてたそうです。
だからかな?御黒門をくぐると左側に番所がありました。
まずは拝殿でお参りしました。
拝殿の右手側、社務所の前あたりに重要文化財である鉄燈籠がありました。
1618年総社藩主秋元越中守長朝の命により造られた、高さ4.95mの当時とすると
日本一大きい鉄燈籠だそうです。
確かにデカかったです。
拝殿の左隣に開運稲荷社がありました。右に見える鳥居のところは人形代祈願所です。
人形代は300円です。
史跡真言院井戸です。
江戸時代この世良田東照宮の周りはお寺も数多くあったみたいです。
境内の一番奥に普光庵跡というのがありました。
お坊さんのお墓のようです。
境内はさほど広くもなく階段もないので歩き疲れなかったです。
境内には無料休憩所もあります。この建物の奧にトイレもありました。無料休憩所に入ったら中にいたお婆ちゃんにお茶を頂き、記帳をお願いされたのでしてきました。
無料休憩所の中は太田市の観光情報などのパンフレットなどがありました。また世良田東照宮のお土産として葵の御紋が書かれてる湯のみ500円で販売されてました。
休憩所の前あたりに群馬県で一番太いソメイヨシノの木がありました。桜の季節は綺麗でしょうね。その時また来ようっと。
次に世良田小学校と境内に挟まれてる駐車場に日枝社というのがあったのでお参りしました。
日枝社も日光から移されたらしい
世良田東照宮に参拝に来た有名人の写真も境内に掲示されてました。
昭和53年に皇太子殿下から坂口良子さん、目黒裕樹さん、村野武載さん、舞の海さん、片岡鶴太郎さん、中田英寿さんなどなどが参拝に来たようです。
拝殿・本殿・宝物館の様子や感想・拝観料・拝観時間
正面にある柵から外から拝殿にお参りするだけなら無料でしたが、重要文化財の拝殿の回り、重要文化財の唐門、重要文化財の本殿の回り、宝物館を見るのは有料で拝観料が必要でした。
拝観料は大人300円、子供100円です。拝観時間は9時~16時30分(4月~10月)9i時30分~16時(11月~3月)になります。
今の境内マップです。
江戸時代の境内図です。
社務所で拝観料を支払いました。「宝物館の中は撮影禁止ですからね~」と言われました。
有料拝観エリアに入るとすぐに宝物館がありました。
前々日に久能山東照宮にある博物館に行ってきたばかりなので比べてしまうと・・・・・戦国ファンの私にとって見ごたえがかなり少なかったです。
興味をそそったのは家康公着初の鎧というのだけだったかな。
家康公が13歳の頃の「御鎧召初式」に用いられた甲冑。
社殿とともに日光から移されたそうですが、どうみても13歳にしては小さすぎる気が・・幼児が着る鎧って感じの大きさで超小さかったですよ。
他にも寛永13年(1636)家康公御神忌時、後水尾上皇が日光東照宮へ奉納し、社殿とともに移された太刀。
鎌倉時代末期に活躍した了戒の作で重要文化財です。
重要文化財である将軍の命による8回の修復記録を記した7枚の棟札や県重要文化財である狩野探幽の弟、永真安信をはじめ狩野休伯長信、狩野元俊秀信の三人によって描かれた三十六枚の歌仙図、神器、御金幣などなどがありました。
宝物館の中は狭かったので滞在所要時間は5分ほどでした。
宝物館を出ると御供水井戸という現役の井戸がありました。
右に見える小さな建物が宝蔵庫です。
自由に汲んで飲めるようです。
拝殿を間近で見ました。
丁度七五三の祈祷をしていました。
祈祷する人は上がれるのですが、一般客は上がる事ができません。
昔はこの拝殿に上がる事ができたのは大名だけだったんですね。
拝殿の中をズームアップしてみましたが。なんか歴史ロマンを感じさせるような拝殿内部でした。
彫刻はやはり東照宮、繊細で見ごたえありました。
社務所で拝観料を支払うと彫刻の見所が書かれてるパンフレットをもらえます。
拝殿の所々に見ごたえある彫刻がありましたよ。
唐門と1645年老中阿部忠秋の奉納石燈籠です。
唐門は日光も久能山も派手派手なのですが、世良田東照宮のはかなり普通の神社感が。
重要文化財の本殿です。
本殿も至る所に立派な彫刻がありました。
有名な彫刻は巣籠りの鷹です。
渡されたパンフレット見ながら確認できますよ。
御朱印帳と御朱印
最後に社務所によって世良田東照宮オルジナルの御朱印長を買ってこの時から人生初の御朱印帳デビューを果たしました。
私は青を選びましたがこの御朱印帳は他にも緑や黒、赤などの色がありました。御朱印代は300円でこの御朱印帳はそれが含まれていて1,500円でした。個人的におみくじやお守りは買わない主義なのでせめて御朱印帳を始めた次第です。
世良田がなぜ徳川発祥の地?
そもそも世良田が何で徳川なの?
三河で生まれて若い時駿河と三河で暮らしていた松平元康が何故?徳川を名乗りこの世良田が発祥の地なの?
初めて世良田東照宮にお参りする前に少し勉強してみました。
鎌倉時代に清和源氏の新田氏から分立した新田の世良田郷の豪族である世良田氏がこの地を治めていたそうです。
この世良田氏は南北朝時代に三河の国に落ちて隠れていた時があったようでこの時に松平氏と縁ができた感じです。
だから松平清康のとき清和源氏世良田氏の後裔(子孫)と称するようになったそうです。
これで世良田姓と松平姓が結びつきましたが、何故に徳川という姓かというと「世良田家康」では三河守叙任の前例はないと官位を拒否られたみたいです・・・・
そこで朝廷にいる近衛氏に相談・・松平氏の祖とされる世良田義季が得川氏を名乗った事、またその得川氏が藤原姓を名乗った事もある事を発見し、じゃー家康さんだけ「徳川」に「復姓」するという特別待遇で従五位下三河守に叙任され無事に三河の大名という地位を得たそうです。
今度は何故得川が徳川となったか謎ができたのですが、世良田氏が祖の得川氏は得河・徳河・徳川と書によって色々書かれてるそうです。
得川をエガワと呼んでる時もあったそうだし。なので漢字ではこの時代どう読もうとかなりアバウトに選択できた模様のようですね。
ちなみに世良田東照宮のお隣にある長楽寺に行くと徳川の祖である徳川義季公以下累代の墓がありました。
ご利益
交通安全、厄除け、家内安全、社内安全、商売繁盛など
行って見た感想や口コミ
世良田東照宮は休憩所でお茶を飲んだ時間を含めて所要時間は30分~40分ぐらいで全部お参り、全部見て回る事ができました。
浜松城の所にある浜松元城町東照宮よりよっぽど大きかったですが、日光や久能山と違って山の木々に囲まれてる所でなく開放的な所にあるので神秘さも少なかったです。
岡崎城に行った時にボランティアガイドさんが日光東照宮、久能山東照宮に次いで大きいのは世良田東照宮かも?と言われて期待値が大きすぎたのがいけなかったのか。想像したいたより社殿規と装飾は質素でした。
でも、質素だったというのは、この社殿は徳川家康の御遺言「久能山~1年経ったら日光に移し小堂を建てよ」の通りに徳川秀忠が建てた証。その言葉を無視しちゃったのが家光公・・・で派手派手に。
どうして、世良田の地に、秀忠の社殿を移そうという話になったのかわかりませんが、個人的には徳川氏発祥の地というより、家康公の遺言から巡ってこの地に家康公が望んでいた事を素直に作った秀忠公の「小堂」があって、それが今、目の前で見る事ができたという歴史ロマンを感じました。
世良田東照宮と日光東照宮の社殿を見比べると質素倹約の家康公の心を秀忠公が知ってたので、「親の心子知らず」は当てはまらないのかな。3代目家光公になるとお爺ちゃんの考えは古い~となったのかな?豪華絢爛に変えて徳川の財の力と平和の素晴らしさ(彫刻)などを皆に見せつけて、その後ずっと江戸時代が続いたんだから彼の移築も結果的には成功したんですからね。
昔の絵図を見たら世良田の地も日光の社寺ような感じでしたが、今は日光東照宮、久能山東照宮と比べたら見所は少なかったです。でも徳川3代(家康・秀忠・家光)の思いが、この社殿とこの地にあったというのは、感慨深くで楽しかったです。
初詣に行った時の様子
ちなみに1月1日午前0時に花火が上がりそれが新年の合図で初詣が始まるようです。先着8名は東照宮開運8番矢が贈呈されるそうです。
1月4日13時~除魔神事、1月5日13時~御釿始め式という行事があります。
新年行事がある事は知ってましたが寒い、混むは基本嫌いなので、何もない1月2日の11時30分着で家族で初詣に行ってきた時の様子です。
初詣期間(多分4日まで)は前にあった世良田小学校の校庭が臨時駐車場になってました・・道中渋滞はなかったのですがほぼ満車状態でした・・
境内外の学校の方まで参拝の長蛇の列でした。並んでる人の中に1日に来た人もいたそうで今日のほうが少ないね~と言ってました・・・
でも凄い・・・
やっと御黒門・・・拝殿が先に見えるようになりました・・・
さすが正月・・前回来た時は殆どいなかったけど・・・今日はめちゃくちゃいる~。
長い事待ちましたがお参りできました。
普段は拝殿の前に柵があって有料拝観でないと拝殿の近くには行けませんが、初詣期間中は柵のない拝殿でお参りできました。
またお守りや札などがある臨時社務所も拝殿横に。
本殿も拝観料なしでそのままお参りできましたが、宝物館だけは閉まってました。
社務所の隣のテントでは無病息災の甘酒や平穏無事の年明けうどんが振舞われてました。
たき火を囲むように少ないですがベンチも出されていました。
甘酒は無料。
年明けうどんは300円でした。他にも焼きまんじゅうやたい焼き、広島焼きなどの露店も境内にありました。
おみくじ専用のテントも出てました。
世良田東照宮オリジナルの「大大大吉」があるそうです(笑)また、小凶や凶が出た場合は運気向上される事を祈願したお守りをくれるそうです。頼もしいっすね。
大大大吉狙いでしたが~吉でした。
今年初詣の場に世良田東照宮を選んだ理由は人形代祈願があるからです。
社務所に300円払って人形代に書いて神水に浸しました。
嫁も子供もいい神社だね~と初詣でこの東照宮を気に入ったようです。
戦国ファン、家康ファンの私は来年もこの桐生から割りと近いこの東照宮かな?
【2023年】年間行事、資料
1月1日初詣~本殿無料参拝時間(1日0時~2時30分ぐらいまで、2日と3日8時~17時)
*開運八番矢は元旦先着8名まで無料授与(*12月31日5時59分鳥居前待機可)
1月4日13時~除魔神事
1月5日13時~御釿始め式
4月第1日曜日~葵祭り(観覧大人300円、小中学生100円)、写真はその祭りの四條流保存会の様子。
4月17日10時~例大祭
10月17日秋季祭
11月七五三祝祭
(拡大)世良田東照宮のご案内
(拡大)祭事のスケジュールなど
(拡大)社殿の彫刻、文様の意味
(拡大)社殿の彫刻、文様の意味
徳川氏発祥の地散策おじまマップ
桜の見頃は
世良田東照宮は群馬県一巨木な御神域桜もある桜の名所です。
桜の見頃は3月下旬から4月上旬、平地にある神社だから太田市街地や近郊が見頃になってきた時は世良田東照宮の桜も見頃の確立が高いです。見頃の日曜日に行った時は琴の演奏もありました。なお、境内ではレジャーシートを開いての飲食の花見は禁止のようです。
アクセス・駐車場
世良田東照宮住所:群馬県太田市世良田町3119ー1電話番号:電話: 0276-52-2045
拝観料:大人300円、子供100円
拝観時間:9時~16時30分(4月~10月)9i時30分~16時(11月~3月)
世良田東照宮へのアクセスは北関東自動車道太田藪塚インターを降りてから約11キロ、約20分の道のりです。
私の場合桐生市街地から車で約20キロ、約40分の道のりでした。
電車で行くなら東武伊勢崎線世良田駅から約1.6キロ。徒歩で約20分ぐらいです。
世良田東照宮の境内周りに無料駐車場がありました。
私が停めた境内周り(世良田小学校と東照宮に挟まれた道の脇)は10台くらいしか駐車スペースがなかったので満車の場合は近くの新田荘歴史資料館の大駐車場に駐車する事ができます。
コメント/口コミ