二宮赤城神社

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二宮赤城神社に行った(御朱印)


二宮赤城神社に御朱印を授かりに行った


群馬県内ではアアチコチに赤城神社がありますが、とりわけ大きめな社殿のある赤城神社の一つのが二宮赤城神社でした。

御朱印を授かった時に頂いた由緒書きには『創立年代は不詳。社伝では人皇十一代、垂仁天皇の御字に創建されたと伝えられていますが、この地は赤城山南面で赤城信仰の上で絶好の地点(西側には荒砥川、東側には粕川が流れていて共に赤城山を水源としている)で、大室の二子山古墳をはじめとして多くの古墳が存在い、上野国の名族「上毛野氏」の本拠地と推定されていることから往古より信仰と共に栄えた証であります。』

「上毛野氏」を調べてみたら、上野国のという名前の元となったと思われる豪族で倭国、百済連合軍と唐、新羅連合軍が争った白村江の戦いでの倭国主力軍将軍でもあったそうです。その「上毛野氏」の氏神とされるのがこの赤城神社なんだそうです。

『赤城神社に関する文献の初見は「続日本後記」承和六年(八三九)で上野国無位赤城神に従五位下が奉授された記事があり、以後「三代実録」では四回にわたり赤城神の神位昇授が記され、「上野国交替実録帳」には正一位赤城明神社とあります。』794年に平安時代が始まったので承和六年は平安初期の時代。

二宮赤城神社拝殿

『平安後期には全国に「一宮二宮」の格付けが行われはじめましたが、当社は上野国の二宮として(地名にもなり)現在に至ってます。』とありました。

一般的には赤城神社という名を聞いてパっと思いつくのは赤城大沼湖畔大洞赤城神社ですが、この二宮赤城神社の方には二之宮という格付けがされてるから本社?・・・・




目次

境内の様子

御朱印とお守りなど

【2023年】年中行事

二宮赤城神社に行った感想と口コミ

アクセスと駐車場




境内の様子

参道入口の鳥居

駐車場からならすぐ拝殿でしたが、遠回りして参道の赤鳥居に戻ってここからお参りスタートしました。敷地面積は約二万ヘクタール(約6000坪)もあるそうです。

鐘楼

鳥居をくぐるとすぐ右手に鐘楼?神社だけど・・・・神仏習合時代の名残りかな?と見てましたが、梵鐘は前橋市の指定文化財で元々は舞台の側にあり、高さ127cm、直径72cm、4月と12月に三夜沢赤城神社との間を御神体が往復する「御神幸」の儀式の時だけ撞かれるそうです。銘文には「元和九暦」(1623年)とあり、寄進した伊勢崎、佐波の村名、三体の本地仏や「赤城神宮寺」などの文字が刻まれてるそうです。1623年は徳川家光が将軍になった年。

林間にある石畳の参道

前橋市街地にある神社ですが、木々に囲まれなかなか良い雰囲気でした。

神代橋と随神門

川自体がなかったですが、神代橋という赤い橋。橋の向こう側にあったのが随神門。

神符授与所と拝殿

橋を渡ると前方に拝殿が見え、左手にはお守りやおみくじもあった神符授与所がありました。御朱印はここで頂きました。

手水舎

そして右方向には手水舎がありましたが・・・・水道の蛇口でビックリ!!大きな神社で水道蛇口って初めて見たかも~。

二宮赤城神社由緒案内

神符授与所近辺に御朱印を授かった時に頂いた由緒書きとは若干違う内容の新しく作成された感じのする由緒書きがありました。

そこには『人皇十二代景行天皇の御時、日本尊東征の時、二夜逗留した此の処を社と崇め

人皇二十代充恭天皇の勅宣により大国主命を当社の神体に祀られた。

大国主命に多く名が有り第一に八千戈神と神代より今に至る

軍神の神に奉られ第二に国造大己貴尊と申す時は医道耕作の守護神として奉られ、この外大国主命等都合七神と神道家に伝えられて来ました。右のご神体を三夜沢へ奉勧し五穀成就の守護神に崇め赤城大明神と申す。

二宮明神一体分身にて江戸牛込赤城明神の根元です。

もっとも牛込赤城明神は牛込忠左衛門殿の先祖が勧請されたとの伝承あり。

源頼朝公、天下清謐の願いに社殿御造営が下され永禄年中国乱により焼失されたと伝えへられる。

大胡城主常陸介殿元亀二年八月玄米七石余を寄与され依頼代々の領主となられた。牧野駿河守殿、慶長十九年時武運長久を祈願し帰陣の後金地繁馬の大絵馬二枚御奉納された。

神事、毎年三月、十一月牛日萱千本以って悪気邪神を退治し四月十二月辰日を御旅と申し御幣御鉾を三代沢の社まで行き天下安全五穀成就を祈願する』と書かれてました。

比較的新しい案内板でしたが単純にわかりやすく書かれてませんでしたが、二宮赤城神社→三夜沢赤城神社に御神体を奉勧、源頼朝が社殿造営に関わり、戦国時代北条氏によって社殿焼失、江戸時代になって大胡城主の牧野氏により社殿再建したみたいです。

また、御朱印を授かった時に頂いた由緒書きには『あるとき、赤城の神が絹機を織るのに、くだが不足したので思案の末、貫前の神は外国から来て機織りが上手であるから、持っているのであろうと頼み、借りて織りあげた。そこでこのような技術をもった神が他国へ移ってはこまるので、赤城神社は一宮であったが、その地位を貫前神社に譲って二宮になったという話です。

つまり貫前の神は帰化人の神であったと見ることができます。それにひきかえ赤城の神は上野国の土地に以前から住んでいた人々が祭っていた神です。そして、この頃は少なくとも赤城神社の方が貫前神社よりも広く一般から信仰あれ、崇敬が厚かったことを物語っています。』だそうです。

二宮赤城神社社殿

そして拝殿にてお参り~上の由緒書きにもあったご祭神は大国主命の別名「大己貴命」「豊城入彦命」他に15柱。相殿に「大山祇命」他に八柱。

ご利益は「良縁」「病気平癒」「商売繁盛」「起業成就」「安産」「五穀豊穣」「家内安全」などなど、下記の35もの末社を含めたらかなり多くの神様が祀られてますので、何でも願いを聞いてきれそうなパワースポットといっても過言ではない感じがしました。

お米が入っていたお賽銭箱

お参りお参り~お賽銭箱の中にビニールに入れてあるお米がありました。近くの農家の方が五穀豊穣のお参りにきたのかな?と勝手な想像・・・

二宮赤城神社絵馬説明

二宮赤城神社絵馬は前橋市指定重要文化財。

『拝殿左右に二対四面の絵馬があります。絵馬は祈願や謝恩のため奉納あれ、古くは神梅献上の風習が起源とされています。人物と馬の「飾馬の図」一対は前橋藩主酒井雅楽頭が奉納したもので、他の馬だけの「神馬の図」一対は大ご飯主牧野駿河守忠成が元和元年(1615年)大阪夏の陣に際し、戦勝を祈願して奉納したものと伝えられています。』

拝殿正面

拝殿の左右・・・・二宮赤城神社絵馬見逃したかも・・・・次回じっくり見てみようっと。





本殿

本殿も大きく立派でした。

本殿の中の様子

本殿の中に本殿、二重屋根構造

天満宮

拝殿、本殿の周囲にまず、天満宮があったから菅原道真公を祀ってるんでしょう。

末社の社と土豪

末社がズラリ!全部で三十五社ほどあるようですが、どれが何という分かりやすく書かれていなかったので、どの神社があるのかわからなかったには残念・・・

この社地自体は前橋市の史跡にもなってて上写真のように土塁などが見えます。説明書きには『境内に入ると、周囲に濠と土塁が巡り、こんもりとした鎮守の森には大きな杉の木が繁り、神社の古い歴史を感じさせます。原形は古代に遡ることも考えられる、中世における社地の形態を比較的良く今日に伝える環濠遺構で、当時の神社経営を知る上で貴重である』。と

二宮赤城神社の宝塔

宝塔は前橋市指定文化財で、『平安時代の末期、乱世に末法思想が広まり救いを求める庶民層に仏教が普及しました。庶民の信仰の対象として笠塔婆・板碑・宝塔などの石造物が多く造られました。この宝塔は南北朝期と考えられています。赤城山南麓に多く分布し、「赤城塔」とも呼ばれます。天台宗の法信仰によるものと考えられ、当時の信仰の姿を伝えています』と説明書きにありました。

末社の鳥居

天満宮の他に末社の中の1つは鳥居までありました。日枝神社かな?

塔心礎跡

塔心礎跡

宝物殿

宝物殿かな?

納曽利面 一面の説明

二宮赤城神社の宝物の1つ「納曽利面 一面」は群馬県指定重要文化財

『舞楽の面で、この面を被り納曽利の舞を演じます。舞楽は古代大陸から伝わり、平安時代宮廷貴族の間で盛行し、鎌倉時代以降各地に普及して社寺の儀式などで舞われました。舞楽は対で舞う(番舞)ことが多く、納曽利には陵王が舞われています。陵王は竜王と解されて雨乞いでよく舞われることから、この納曽利面を外に出すと大雨が降るとの伝承と関係するかもしれません。亨徳2年(1453)の銘があります。』ちなみに1453年は室町幕府第八代将軍足利義政の時代。応仁の乱の14年前。

舞台と神楽殿

舞台と神楽殿。

二宮赤城神社太々神楽の説明

二宮赤城神社太々神楽は前橋市指定重要無形民俗文化財に指定されていて『二宮赤城神社の祭礼日に五穀豊穣と平和を祈願し奉納されています。本座、裏庭あわせて24座が伝承されています。本座で奉納される「水次ぎ之舞」は、天津姫と先達が清浄水について述べる掛け合いの場面があり、当神楽の大きな特色となっています。昭和33年に二之宮町に住む有志が保存を組織し、二之宮町に住む有志が保存会員となり、芸能を継承しています。』

茅葺き屋根のお堂のような建造物と社務所

左のガラス扉が社務所入口で茅葺き屋根のお堂のような建造物は時代を感じて何か雰囲気が良かったが何だろう?



御朱印とお守りなど

神符授与所

御朱印は随神門近くにあった神符授与所という所で授かりました。

お札

一緒に来た友達はオリジナル御朱印帳があったら買おうと思ってましたが見当たりませんでした。

色々なお守り

ここではお札の他に交通安全お守りや学業お守りや合格お守りや七福神お守りなどがありました。

おみくじ

おみくじもおいてありました。

二宮赤城神社御朱印

二宮赤城神社の御朱印

御朱印初穂料志納の張り紙

御朱印初穂料は志納だったので500円渡しました。



【2023年】年中行事

1月1日~初詣

3月下牛日 御神事(御神幸にさいして深夜、萱矢千本を射て悪邪気神退治を行う)

4月上辰日 御神幸(三夜沢赤城神社へ二宮赤城神社の御神体が渡御される)

4月15日 例祭日

11月下牛日 御神事(御神幸にさいして深夜、萱矢千本を射て悪邪気神退治を行う)

12月上辰日 御神幸(三夜沢赤城神社へ二宮赤城神社の御神体が渡御される)

二宮赤城神社の御神幸の説明

御神幸は前橋指定重要無形民俗文化財に指定されてて『御神幸は、毎年4月と12月の初辰日におこなわれます。当日朝、町内の各組代表が集まり、拝殿から御神体を乗せた御輿を担いで約12km離れた三夜沢に向かいます。以前は徒歩でしたが、現在は自動車を使っています。途中大胡(近戸)神社と粕倉町の2か所で休憩・接待をうけ、三夜沢赤城神社到達後、社殿に御輿を入れます。以後は三夜沢の神官が預かって祭典が行われ、終了後御神体を入れた御輿をもって二宮に帰り神事を行い御神幸が終了します。この神事は、山宮である三夜沢と里宮である二宮の関係を示す行事であり古代の信仰を考えるうえで貴重です。』と境内内の説明書きにありました。


二宮赤城神社に行った感想と口コミ

寺社仏閣観光が好きな私としては広い敷地、歴史を感じる社殿や雰囲気など素敵な神社でした。拝殿を中心にグルリと境内一周しましたが、広大な敷地の境内の中には目立ったゴミも落ちてなく掃除もちゃんとされてて素晴らしかったです。また近所の方かな?お母さんとちっちゃな子供が手を繋いでお参りに行く姿も見かけ地元の人に愛されてる感もありました。

さて赤城神社の本社はどこ?の謎部分もここに来て、三夜沢赤城神社との関係もわかったし、二宮赤城神社は上野国二之宮だから赤城大沼湖畔大洞赤城神社よりも格上?だから多分昔はここが本社だったのではないかと私は推測します。以前までは戦国時代に上杉謙信が三夜沢赤城神社へ戦勝祈願に行ったぐらいだから本社はコッチと思ってましたが、謙信の敵の北条氏に二宮赤城神社は焼かれていたから三夜沢に行ったのかも?という考えもできました。

さて神社自体は個人的にお気に入りに入ったのですが、大きく残念な事がありました。それは御朱印を頂く時です。

まず、神符授与所に誰もいなかったので、茅葺き屋根の所にある社務所のピンポンを押しました。

しばらくすると年配の男の方が外に出てきたので「御朱印を願いできますでしょうか?」と声をかけました。その方は何も言わず、まぁ愛想を振りまく必要もありませんが、小難しい顔をしながら神符授与所方向へ指差し。

たまたまその人が気分の悪い日だったのか?それとも俺は偉いんだぞ~という事で仏頂面のまま指差してたのかわかりませんが、、初対面、ワザワザ来た参拝者に向かって失礼な態度でビックリ!「そっちで書きます」とか言いながらの指差しなら理解できますけどね。

無言のまま私もその人も歩いて移動。神符授与所でガラス戸が開き、無言・・・・・・書いてもらうページを開いて渡す。「お願いします」と声をかけてみる・・・無言。その場で書いてたのでしばし待ちました。書き終わり後ぼそっと小さな声で「はい」、500円を渡して、私がありがとうございましたと再び声をかける・・・結局最後まで仏頂面のままそして無言で窓が閉まる・・・・すっげ~感じ悪かった。

とても素敵な神社で感動してましたが・・・今まで御朱印巡りした中で感じの悪い全国ワースト2に入りました・・・三夜沢赤城神社赤城大沼湖畔大洞赤城神社で御朱印お願いしても全く感じ悪くなかったのですが、同じ赤城神社でもこの神社はとても残念な結果となってしまいました・・・・・・・・。


アクセスと駐車場



二宮赤城神社:住所:群馬県前橋市二之宮町886 電話番号:027-268-0276

二宮赤城神社へのアクセスは関越自動車道前橋インターから約13.6キロ車で約29分、高崎インターから約13.3キロ車で約25分、北関東自動車道伊勢崎インターから約5.9キロ車で約10分。

赤城山山頂の大洞赤城神社からなら約33.6キロ車で約54分、三夜沢赤城神社からなら約15.6キロ車で約25分。

私の場合桐生市街地から国道50号線を走って約13.9キロ、車で約34分でした。

二之宮公民館入口の案内

駐車場が非常にわかりにくく鳥居の前を何度通り過ぎた事か・・・・・駐車場入口は鳥居横にあった「二之宮公民館」と書かれてる看板横の路地を走る感じ。

二宮赤城神社駐車場

そんなに広くはなかったですが、駐車場がありました。


 

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