野沢温泉健命寺に行った
野沢温泉野沢菜発祥薬王山健命寺に行ったよ
野沢温泉の日影ゲレンデ下の山の麓にあった健命寺は荘厳な雰囲気と静寂さもあり素晴らしい境内と建造物の存在感は感動の域に達してしまいました。ここまで歴史を感じそうな佇まいのお寺ならオリジナル御朱印帳や御朱印、お守りなどで観光客を呼び込む形が多く見られますが、健命寺では御朱印などもなく、ひっそりと静かに昔から野沢温泉村の為にあるという感じのままのようで素晴らしい雰囲気のお寺でした。
野沢温泉にこんなに立派なお寺があったのも知らなかったし、何も知らずに行きましたが、この健命寺が野沢菜の始まりに関係してて門前には「晃天園瑞大和尚」と「野沢菜発祥の地」の石碑もありまずは記念撮影しました。
ここでスリスリして集印帳のスタンプゲット!
目次
・健命寺とは
・境内の様子、感想と口コミ
・てら種子買った
・アクセス、駐車場、住所
健命寺とは
行ってみてから素晴らしいお寺だったので種を買った時に奥さん?にパンフレットはありますか?と聞いてみたら、ないとの事でわかる範囲で色々と調べてみました。
山号からだと薬王山健命寺、この名称だけも「薬」「健康の健」「命」と参拝すると体の良さそうな名前が並んでますよね。創立は永禄11年だそうで西暦にすると1568年、この年は室町時代末期の戦国時代で歴史上では織田信長に今川家が滅ぼされた年、世の中が目まぐるしく変わっていく戦国乱世の時に健命寺が創建されたんですね。この頃は勢力マップを見ると野沢温泉は上杉謙信か武田信玄の領地だったのか?狭間にあった感じですが、越後国南魚沼の名刹雲洞庵より招いた南堂正舜大和尚によって開山されたお寺だから当時は上杉謙信勢力地だったのかも?また創建当時は傑湯山という山号だったみたいでご本尊は薬師如来と十二神将、野沢温泉の共同浴場にある十二神将はここから始まってるのかと納得。文禄二年、西暦1593年に今の地で再建され薬王山となったらしい。1593年は関ケ原の戦いの7年前で豊臣秀吉がまだ生きてた時代に今現在の地に再建だから創建当時は別場所だったようです。そして現在は曹洞宗のお寺だからご本尊はお釈迦様なんだそうです。
伝によると野沢菜は宝暦年間(1751年~1763年の江戸時代)、健命寺の八世晃天園瑞大和尚が関西近辺で栽培していた「天王寺蕪(てんのうじかぶら)」の種を持ち帰り栽培した事が起源だそうです。かぶらと野沢菜の関連性は色々と議論されてるみたいですが、両方ともアブラナ科アブラナ属の事は確かで、上戦国時代の杉謙信がいた間に創建され太閤秀吉時代に今現在の地に移り、四代目将軍徳川家綱の時代の時のご住職が関西から持ち帰った種から野沢菜ができたという歴史深いお寺というのがわかりました。
境内の様子、感想と口コミ
歴史を感じる大きいお寺でしたがあまり観光地化してないかったので伽藍図なども掲示されてなかったし、パンフレットなどもなかったのでこんな感じでした~という事を写真で。
まず拝観料は無料で拝観時間は不明でしたが、境内参拝だから一般的に朝から夕方くらいまでかと思います。
「野沢菜発祥の地」の記念碑の近くに「洗心の滝」
滝の上側に「温泉薬師堂」があってそこには「この薬師堂は今から凡三百五十年前、飯山藩主松平遠江守の寄進によって建立されたと伝えられています。本尊薬師如来は人々の心身に災いするすべての苦悩を癒す仏様といわれ、特に温泉と深いかかわりを持つ医療の仏として内外の人に信仰されてきました。昭和七年、不幸にして火災の厄に会い堂宇諸仏を焼失し、現在の建物は昭和二十八年に再建されたものです。以来、野沢組がすべても管理の任にあたってます。堂内に安置されてる本尊脇侍及び十二神将は、わが国現代仏像彫刻界の第一人者(故)大内青圃先生の作であり、温泉と村人の守護として新たな尊崇をあつめています」と書かれてました。
温泉薬師堂は健命寺の境内の中という感じの場所にありましたが、説明書きを読むと管理は違うし、集印めぐりのスタンプを集印帳でもお寺と別にあったから今はお寺とは関係ないのかも?
参道の方に行くとまず門と門脇にお地蔵様がおられました。
門をくぐり石段途中にお堂があって中にお地蔵様。
小さな画像では伝わりにくいと思いますが、この石段途中から山門と名前がわかりませんが左の建物を見上げると迫力と歴史、パワースポット感など色々感じます。
木々も高く荘厳さも多いに感じました。
何気なく石段横にあった石灯篭も長い年月をかけて風化してる歴史も感じました。
山門もデカかったのですが、くぐった先にあった本堂もデカく圧倒されました。
本堂の上には立派な彫刻があって調べると後藤政綱という方の作らしいです。
本堂前にスタンプがあったのでゲット!
この建物、名前はわかりませんが歴史を感じる趣で素晴らしかったです。
鐘も突けるようになってました。
ここにある鐘は訳ありで「慈しみの鐘」という名前だそうです。
これが新しい鐘楼のようです。
この建物も名前わかりませんでしたが古そうでした。
先ほどの建物の裏手に東堂寮と書いてあったので修行僧の寝泊まり場所??という事は前にあった建物は東堂?
本堂からかなり離れた動く歩道「遊ロード」(写真左)近くに千仏堂に関する説明版が掲示されてました。「年代ははっきりしませんが、江戸時代中期、享保年間頃(1730年代)の創建と伝えられる観音尼寺で、当庵主で十二世となります。現在はすべての管理を野沢組が行っていますが古くは健命寺の塔頭寺院とみられ、健命寺作事の祈りはしばしば仮寺とされたことからいまでも、村人は寮(りょう)と愛称しております。現本堂は昭和六十一年の再建、堂内にはご本尊の阿弥陀三尊と三カ霊場の百番観音が安置されているほか、信者の寄進による千仏小像が祀られ無病息災、厄除けのお堂として身近な信仰を集めております」と書かれていました
。う~ん。しかし千仏堂はどれ?右の建物は洗濯物も干してあったし民家のようにしか見えなかったです・・・・
民家と思える建物の前にあったのは延命地蔵と書かれてる小さなお堂・・・・どれが千仏堂?謎。
健命寺は上のように歴史がありそうな石段や石灯篭、山門などの建造物の数々で見応えたっぷりあったし、これだけ大きなお寺と境内でありながら、賑やかな観光地化してなかったんです。だから自然美と静けさもあってゆったりとお参りや境内散策が似合う場所でした。見た目には重要文化財級の建物でもおかしくないとは思いましたが、それを明示してる案内版とか見当たらなかったですよね~でも心地よい空間と境内で感動しました。
てら種子買った
健命寺はあまり観光地化してなく御朱印帳の記帳やおみくじ、お守りなども並んでませんでした。
あまりにも素晴らしい感動したお寺だったのでせめて記念に残るものと最近家庭菜園にも嵌ってるので掲示されてたてら種子を買いました。
本堂と続いてる大きな建物の呼び鈴を押して中に入り奥さん?が出てきて対応してくれました。
健命寺の野沢菜の種は原種と書いてあったから多分健命寺の八世晃天園瑞大和尚が京都に行った折りに持ち帰った種の子孫かと思います。子孫っていうのかな?
今でもお寺の裏で野沢菜栽培しててこの種のようです。
野沢菜の種ゲット!帰ってから栽培してみようっと!
種と一緒に頂いたリーフ
裏面には健命寺寺種子野沢菜栽培方法が書かれてました。
アクセス、駐車場、住所
健命寺:長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9320 電話番号:0269-85-2063 公式(http://www.kenmeiji.or.jp)
アクセスは上信越自動車道豊田飯山インターを降りて国道117号線を北上して野沢温泉を目指してインターから約20キロ、車で約30分の道のり
場所的には湯澤神社と隣どおしで境内周りを散策しましたが大きな駐車場は見当たりませんでした。無料開放中の横落駐車場か中央ターミナルの所の有料駐車場が近いのかな?
コメント/口コミ