諏訪大社上社本宮

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諏訪大社上社本宮に行った

諏訪大社上社本宮に行ってきた


諏訪大社二社四宮巡りの最後は上社本宮、読み方は「かみしゃほんみや」で「ほんぐう」ではない。行く前に仕入れた事前情報では今の主祭神は建御名方神(男神)、そして八坂刀売神(女神)だが、どちらかというと男神の方が上社は主らしい。また古来からのミシャグジ神も上社は関わっている歴史もあるみたい。中世から近代まで現人神大祝(諏訪氏=神氏)も祭祀の対象となっていたそうです。現在、本殿はなく御神体は拝殿後背の守屋山で、本殿の代りのような二つの宝殿もあり片方に神輿が納められていて御柱建て替え時にもう片方の宝殿に遷座し、遷座した方の宝殿は建て替えられるそうです。残念ながら1582年の織田信長(総大将織田信忠)の信濃攻めの時に焼失してて、江戸時代後期に再建、改築されたものですが、拝殿や四脚門、布橋、入口御門、額堂(絵馬堂)、神馬舎、五間廊、勅使殿、神楽殿、天流水舎、摂末社遙拝所など重要文化財の建造物のオンパレードという事でここも行くのが楽しみな神社でした。

評価:5.0 見応え◎ 所要時間約60分 コスパ◎拝観無料、駐車場無料




目次

諏訪大社上社本宮の感想と口コミと境内の様子

御朱印とお守りとご利益

上社本宮境内図など

アクセス、駐車場、景色




関連ページ→春宮秋宮前宮四社巡り御朱印記念品木落し坂




諏訪大社上社本宮の感想と口コミと境内の様子

北参道の様子

北参道を歩いて諏訪大社上社本宮へ向かいました。秋の紅葉シーズンという事もあり参道脇のモミジも赤く染まりいい感じ。参道の両脇にお土産屋さんが軒を連ねてて諏訪大社二社四宮の中の参道で一番活気を感じました。蕎麦やラーメンなどのお店もあったのでランチなど食事も兼ねてお参りにも行ける神社でした。

本宮の大きな鳥居

私は大通りに面してた大きな駐車場に車を停めてから、この巨大な鳥居まで歩いてきましたが、矢印の書かれた駐車場案内の看板もあり、どうやら境内に近い駐車場もあったようです。

手水舎

鳥居をくぐった先は広い場所になっていて左側に手水舎

明神湯

手水舎の隣に諏訪明神ゆかりの温泉とされる「明神湯」

塀重門と交通安全祈願殿

石段上に塀重門、正面の建造物は交通安全祈願殿、大きく御朱印→と書かれてた案内があったので先に授かりに向かいました。

高島神社

交通安全祈願殿右側に「高島神社」その奥に見えるのが参集殿。

高島神社の御祭神は大祝中興の祖でもあり諏訪藩祖の諏訪頼忠公、大祝であり高島藩初代藩主の諏訪頼水公、高島藩二代目藩主の諏訪忠恒公。

説明書きには『諏訪氏は当大社の御祭神諏訪大明神の子孫で上社最高の祀食大祝となり更に藩主として政治を行った。この祭政一致の携帯は往古より続く諏訪の特徴である。御祭神は江戸時代初期における高島藩中興の藩主三代の御遺徳を尊びお祀りしている』とありました。

社務所

社務所。

一之御柱

御朱印も授かったので今度は大鳥居から左側の方へ向かいました。塀重門へ続くの石段の左側に一之御柱がありました。御柱の後ろ側を見ると削れれてる痕がありました。木落し坂などで滑り落ちる時に削られちゃった痕なのかな?

電電為右衛門の像

一之御柱の相向かいに「電電為右衛門の像」これは『幕末に信州小県郡大石村が生んだ名力士で茅野市出身の彫刻家故矢崎虎夫氏の凡夫大臣賞受賞作品 モデルは横綱柏戸と佐田山 及び富士錦である 勝負に強い御神徳を仰ぎ当大社に奉納された』と書かれてました。

お相撲さんの手形

デカ!!

木々に囲まれた境内の様子

本宮は高い木々に囲まれてて神々しい雰囲気がいっぱいでした。

重要文化財である神楽殿

11代将軍徳川家斉の1827年(文政10年)に造営された国の重要文化財である神楽殿、一般的なお寺の本堂くらいある感じの大きな神楽殿でした。『文政十年(一八二七)の建立で祈願者の神楽奉納の御殿であり四方吹き通し入母屋造りである』1827年とは11代将軍徳川家斉の時代。

神楽殿の中の大太鼓

『大太鼓は神楽殿建立と同時に奉納され銅は樽と同様に合わせ木作で神龍が画かれている皮は一枚皮が使われ一枚皮では(牛と伝う)日本一と云われる この大太鼓は元旦の朝のみ打たれる』とありました。

目の前で見たら大きさといい龍の絵も迫力あって素晴らしかったです。

土俵

土俵、諏訪大社の神事で古くは相撲が奉納されたらしく、今では江戸時代からの十五夜相撲を9月中旬の相撲大会や9月15日などに行われる相撲踊りを奉納するそうです。

国の重要文化財である天流水車

土俵や神楽殿の近くにあったのは、国の重要文化財である天流水車、『俗にお天水と称される どんあ晴天の日でも雫が三滴は屋根の上の穴から振り落ちると云われ諏訪の七不思議の一つに数えられている

旱天の祈りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭をすると必ず雨が降ると云い伝えられる』とありました。

国の重要文化財である五間廊

次に見えたのが国の重要文化財である五間廊、『現在の建物は安永二年(一七七三)の建造であり廊下様式切妻造りである』1773年とは10代将軍徳川家治の時代。また『古記録には神長官。祢宜太夫権祝・擬祝・副祝の五官着座のことが見えている』とありました。

勅使殿

五間廊の先にあったのが国の重要文化財である勅使殿、『現在の勅使殿は元禄三年(一六九0)の創建であり安政年間に大修理を加えてある切妻流れ正面大唐破風造りである』1690年とは5代将軍徳川綱吉の時代で有名な生類憐みの令を定めた3年後。安政年間とは1854年~1860年で13代将軍徳川家定時代、大老井伊直弼の安政の大獄があった幕末。

さらに『中央の記録では神門戸屋・帝屋とも書かれており建武二年(一三三五)大祝即位の記録には御門戸屋にて神事があり社殿に布を敷いて其の上に五穀を供えそこに大祝が着座したことが見えている』1335年とは、足利尊氏が室町幕府を開く3年前の後醍醐天皇による建武の新政の時。

『また勅使参向の折には幣帛の授受が行われた所である 元旦の蛙狩神事や御頭受神事も行われた所である。 当時の勅使殿は今の神楽殿の前あたりにあり拝殿の性格をもっていた』とありました。

樹齢約千年の大欅と二之御柱

樹齢約千年の大欅、『古くは贄・御狩の獲物(お供物)を掛けて祈願したことから「贄掛けの欅」と呼ばれ境内最古の樹木のひとつである』とありました。近年この欅が大変弱ってるるそうですが、なんとか生き続けて欲しいですね。欅の後ろ側に二之御柱。

神馬舎(駒形屋)

大欅の向かい側にあったのが国の重要文化財である神馬舎(駒形屋)、『古くより諏訪大神の神馬の館で明治以降は背に御幣を立てた銅製の神馬と木製の神馬が安置されている

明治二十七年七月の大暴風雨により近くの大欅が倒れて神馬舎は倒壊してしまったのに神馬は前方に十メートル程飛んで微塵も被害を受けなかった』

ま~じか~。

枝と幹が切れてた大欅

近くにあったこの大欅の事かな?神馬舎の説明書きの続き『時恰も日清戰争の勃発いた頃であり人々は諏訪明神が神馬に乗って戦場に向かわれたのであると云って驚き懼れたと伝えられる』とありました。お諏訪様は軍神でもあってあの武田信玄公もこの神様がいる諏訪の地が欲しかったぐらいですからね~。

東参道側の鳥居

大欅の後ろ側に鳥居があったので外に出てみる。こちらは東参道側になるらしく、この右手にも手水舎がありました。また「境内へ犬や猫等動物の連込みはご遠慮ください」とペット禁止のお願い立て看板もありました。他にもポケモンGO禁止、ドローン飛行禁止になってました。



またこの外の道沿いには「明治維新前の諏訪大社上社と神宮寺境内図があり、神仏分離令(慶応4年)により棄却取り壊しとなった建造物が記されてました。今でも上社本宮は見応えたっぷりなのに昔は鐘楼、薬師堂、阿弥陀堂、仁王門などなど多数の建造物があったんですね。法華寺は近くにあったので上社本宮参り終了後に立ち寄ってみたら諏訪大社上社五重塔跡というのもありました→鷲峰山法華禅寺(法華寺)に行った

入口御門

東参道側の鳥居から再度境内に入って正面が国の重要文化財である入口御門、大きいですよね。この時はオヤ、まじまじ見るとこの景色よくTVなどで見た事ある感じ。

左側手前が出早社、奥が額堂。門を挟んで右側二之御柱、その隣大欅。

入口御門には『文政十二年(一八二九)建立上社宮大工棟梁である原五左衛門親貞とその弟子藤森廣八が構築し巧微な彫刻が施されている』と書かれてありました。1829年とは11代将軍徳川家斉の時代。

入口御門の龍の彫刻

眼光が鋭い迫力ある龍の彫刻がありました。

出早社

入口御門左にあった摂社である出早社がありました。御祭神は出早雄命、『祭神は諏訪大神の御子神であり地元の人々からは尾諏訪様の門番神として崇めれれている また古くからイボ石神ろして敬われ小石を捧げてイボの全快を祈る風習が残されている』とありました。

布橋

さて、入口御門をくぐるとオヤ、オヤ、この廊下もTVなどで見た事あるぞ~。あの時のはここだったのね~などと思い返して納得。この廊下は重要文化財である布橋、えっ廊下じゃなくて橋なの?昔は布が敷かれ大祝のみが渡る事ができたそうです。

額堂の様子

布橋を渡りながらまず左手に見えたのが国の重要文化財である額堂、『全国の崇敬者から寄進された絵馬や額を納めており別名「絵馬堂」とも呼ばれる。その昔人々は願事をする際に神が乗る為の馬を奉納し祈りを捧げてきた

やがて時代と共に形式が変わり現在のように馬の絵を描いた木札を奉納するようになった』とありました。

額堂の中の額や絵馬

額堂の中は歴史を感じるかなり大きな絵馬や額がズラリと掲げられていましたが、この砲弾のようなものは何だったんだろう?

摂末社遙拝所

額堂の右隣は国の重要文化財である摂末社遙拝所、『文政十一年(一八二八)の建造である』1828年とは11代将軍徳川家斉の時代。

『昔は十三所遙拝所とも称し前宮を始め上の十三所・中の十三所・下の十三所計三十九ヶ所の摂社末社を遙拝する所であった

現在当大社の摂末社は約百社あり朝夕この社を通して遙拝してる』とありました。

おいおい凄い数の神社だ~ウルトラマン一家が全員いるような神様全員大集合ですね。この数まで摂社や末社が揃ってる神社は初めてでした。諏訪大社はパワースポットと言いますが、どんな願い事でも専門の神様がいるような所だからエキスパートスポットと言ってもいいんじゃないでしょうか。専門の神様なら200%以上願いかないそう。さて、摂末社遙拝所の三十九ヶ所とは、
上の十三所が、所政社、前宮社、磯並社、大年社、荒玉社、千野川社(亀石社)、若神子社(若御子社)、柏手社、葛井社、溝上社、瀬社、玉尾社、穂股社。

中の十三所が、藤島社、内御玉殿、鶏冠社、酢蔵社、習焼社、御座石社、御飯殿、相本社、若宮社、大四御庵、山御庵、御作久田社、闢尾社

下の十三所が、八剱社(八剣神社)、小坂社、鷺宮社(先宮神社)、荻宮、達屋社、酒室社、下馬社、御室社、御賀摩社、磯並山神、武居会美酒、神殿中部屋、長廊神社。

この三十九ヶ所を見ると地元の神社系。他の神社だと有名どころを摂社や末社にしてるのを見かけますが、地元系だけ集まってるという事は、諏訪大社が日本最古の神社の一つとも云われるというのが私は納得できちゃうかも。まぁ~下社秋宮は有名どころが揃ってましたけど・・・・・

大國主社

摂末社遙拝所の横に別格扱いであったのが大國主社(摂社)、御祭神はもちろん大国主命、『諏訪大神の御父神である大國主命を祀る社で古事記によれば諏訪大神「建御名方神」は大國主命の第二子と記されてる』とありました。

布橋前に並んでいたコケに覆われた石灯篭

布橋と額堂、摂末社遙拝所、大國主社の間にはコケに覆われた石灯篭が並んでいて歴史とここが神域の神社である事を感じました。

御宝殿

布橋を渡りながら次に見えたのが、冒頭で書いた本殿がない代りにあるという御宝殿。

四脚門

国の重要文化財である四脚門を挟んで東御宝殿と西御宝殿がありました。片方が7年ごとに建て替えられるようなので、歴史感じる重要文化財の建造物群の中でより新しい感じを受けました。

『御神輿及び御神宝を蔵める神聖な御殿であり一般の神社の御本殿に相当する

寅年と申年毎に一殿新しく造り替え遷座祭を行っている 御宝殿が二殿あるため仮殿に御遷座の必要がなく新造の御宝殿に直ぐ御遷座になるのである


最も古い記録に拠れば新造して六年経った御宝殿に御遷座になり旧殿を新造してまた六年を置くのが本義で今も新旧二殿が平素共存しているのである』とありました。

この御宝殿に挟まれた四脚門は『四脚門は天正十年(一五八二)の兵変によって消失したものを慶長十三年徳川家康が時の勘定奉行大久保長安(佐渡金山奉行を兼ねる)に命じて建立させたものである』

1582年とは織田軍の信濃攻略時の事、慶長13年とは徳川秀忠が将軍となって3年目の時。

続きは『この門はかつては大祝(祭神の子孫であり神を顕現する者)だけが最上段の硯石と呼ばれる磐座へ登って行った門である』

硯石

目の前で門が閉まってる四脚門から硯石は見えませんが、拝殿の右上部分にありました。

『硯石とは前方脇片拝殿の屋根の上に見える石のことでこの石の凹面は常に水を湛えているところからその名が来ている


鎌倉時代の大社の神楽歌に 明神は 石の御座所に おりたまふ みすふきあげの 風のすすみに
とある如く明神の天降り給う場所であり神降しをする古代宗教の最高至極の位置であったと云われている』とありました。

なるほど、ここが諏訪大社での一番の神域なんですね。

塀重門と交通安全祈願殿

布橋を渡り、東御宝殿、四御脚門、西御宝殿前を通りすぎると、一番最初に私が境内に入ってみた上の写真の石段上の塀重門前に出ました。北参道からお参りするだけでいいという場合が石段上ればすぐという事。

入口門

ただ塀重門は閉ざされてるので右隣の入口門をくぐれば拝殿に行けるようになってました。

温泉手水

門をくぐってすぐ左側に温泉手水。これも凄い造形美。温泉成分と思われる茶色の部分とコケなどがぎっしり。歴史の時間を感じられる岩?

授与所

門をくぐったの右手側には授与所。

拝所方向の景色

授与所の反対側に拝所が見えました。今までとは違う雰囲気。ここ結構広かったけど1月1日の初詣は人で埋め尽くされるのかな?

宝物殿

門をくぐってほぼ正面には宝物殿。

う~ん。不思議な配置だ。大体鳥居や門をくぐって目の前が拝殿だったりお寺ならお堂だったりするけど?

御祈祷待合所

宝物殿の右側に御祈祷待合所。

宝物殿拝観料金表

宝物殿は拝観料必要で大人500円、小中学生300円、諏訪大社下社秋宮の宝物殿と共通拝観券なら大人800円、小中学生500円でした。拝観時間は9時から17時まで(最終入館16時30分)、セットだと大人200円割引されてました。

旧賽銭箱

宝物殿の前にあった旧賽銭箱、『この賽銭箱は諏訪郡川岸村(現 岡谷市川岸)の片倉一族により奉納され昭和初期から昭和二十年頃まで上社本宮の拝所賽銭箱として使用されその後は幣拝殿前のさいせんばことして平成二十二年まで使用された』とありました。

本宮四之御柱遥拝所

宝物殿の左隣は本宮四之御柱遥拝所。ここのあった大きな説明書きには長野県天然記念物諏訪大社上社社叢約一一、五ha『この社叢は落ち葉葉樹からなる自然林として多種多様の樹木と多くの美しい植物群落を同一箇所で見られる珍しいもので、亡びつつある中部地方天然落葉樹林の林相の保存されている貴重な樹叢である。クリ・カエデ類フジキなどの木本一六〇余種 ヤマブキソウ・レンプクソウ・ミヤマイラクなど 草本四二〇余種が生育している。』とありました。

勅願殿

本宮四之御柱遥拝所の左隣は、国の重要文化財の勅願殿、『勅願とは天皇の祈祷という意味である 当社の場合この建物は御祈祷を行う
場所である

建立は元禄三年(1690)といわれ建物の配置は諏訪大神の御神霊が宿る守屋山(御神体山)に向かい建てられ古図には祈祷所と記されている』1690年とは5代将軍徳川綱吉の時代。

『弊拝殿が大社の恒例祭典や重要神事を齋行して國家安泰並公事の祈祷を執行する場所であるのに対して勅願殿は個人私事の祈祷を行う場所である』とありました。

この勅願殿の裏の方に金井社があったりと、摂末社遙拝所の説明書きに摂社末社約百社あるという事だから、もしかしたら見えない、わかりにく所にあるのかも知れないですね。

拝所の様子

さて、やっと諏訪大社上社本宮拝所にて諏訪大明神様にお参り。写真のように拝所から先には行けないようになってました。

拝所から見えた幣殿

1つの建物にしか見えませんが、左が右片拝殿、真ん中部分が拝殿、右が左片拝殿、どれも重要文化財。後ろにご神体の守屋山。

先ほどの諏訪大社上社社叢の説明書きには諏訪大社上社本宮弊殿等六棟に関する事も書かれてました。『この建築は天保六年(1835)に上棟式 をしており、工匠は上諏訪の人 幕府から内匠の称号を許された名匠二代立川和四郎富昌の作である。』1835年は11代将軍徳川家斉の時代、完成したのは12代将軍徳川家慶となった翌年の1838年。立川和四郎富昌は諏訪大社下社秋宮の神楽殿を建てた人、初代のお父さんは秋宮の幣拝殿を建てた人。

諏訪大社の創建は1500年~2000年前らしく、織田軍に焼かれる前は極彩色の社殿が並ぶ神社だったみたいですが、これぞ江戸時代後期~という感じの落ち着いた雰囲気も良かったです。

『拝殿と弊殿をつづけ本殿を設けない諏訪社様式で 安定もよく彫刻も美しく富昌の代表作であり また左片拝殿にみる蟇股から脱化した粟穂に鶉の彫刻は写生に徹した富昌の至芸である。』

幣殿と東御宝殿と四脚門と西御宝殿

ここからだとよく見えないんですが、左側にあるのが布橋などを歩きながら見た、東御宝殿と四脚門と西御宝殿。

硯石

ここは神が降り立つ硯石。だから硯石は東御宝殿と四脚門と西御宝殿の正面にあります。硯石の下の建物が重要文化財の脇片拝殿、途切れてますが石塀の中に遥拝所。

神饌

遥拝所の後ろ側に神饌。

右片拝殿上部の彫刻

彫刻が素晴らしいみたいですが、拝所から肉眼で見るのは至難の業。望遠鏡かカメラのズームで見るしかないかも。

右片拝殿の彫刻

この彫刻は右片拝殿だったかな?

右片拝殿の彫刻

こっちが右片拝殿の彫刻だったかな。

諏訪大社上社幣殿

神社仏閣好きだから、この社殿は見応えありました。

拝所から見えた授与所、宝物殿、参集殿

お参りと観光も済み、帰路へ。拝所から正面が授与所、その後ろ側の建物が参集殿、左が宝物殿。

諏訪大社本宮境内案内図

私の所要時間は約60分でしたが、観光せずに駐車場から拝所でお参りのみなら20分もあれば行って帰ってこれると思います。

北参道にあったお店

帰りは北参道にあったお店でお土産選びや食事を楽しみました。諏訪大社二社四宮の中で上社本宮が一番お土産が揃ってる感じ。食事できるお店も多かったし。

諏訪上社旧大祝邸跡への案内

心残りはこの諏訪上社旧大祝邸跡に時間がなくて行けなかった事。次回のお楽しみにしとこ。

これで上社前宮下社秋宮下社春宮と全部巡ってきて、どこも素敵な神社でしたが、いや~諏訪大社上社本宮は二社四宮の中で一番重要文化財の建造物も多く見応えたっぷりでした。もし諏訪大社四宮の中で1つしか行けないという人がいるのであれば、この上社本宮をオススメします。理由は上記の通りの見応えと、ランチなど食事できるお店やお土産店が参道に一番あったから。


御朱印とお守りとご利益

今諏訪大社上社の祭神は建御名方神、妃の八坂刀売神であるが古くはミシャグジ神も関わりもあるそうです。また100もの摂社末社もあって個々の神様というより一括して「諏訪大明神」と呼んでるそうです。古来は狩猟、漁業、豊穣、そして坂上田村麻呂時代あたりから軍神として、戦勝祈願をしてご利益を得てたそうですが、現代の諏訪大明神は全ての願いに対してご利益があるからパワースポットとなってるそうです。

授与所

お守りやおみくじなどは拝所の近くにある授与所。

諏訪大社本宮のお守りとおみくじ

おみくじ1回100円、安産守、交通安全守、御柱守、開運鈴守、学業成就守、えんぶすび守、勝守、無病息災守、勝栗札、心身健全守などなど。

開運鈴守、肌身袋守、御柱箸、勝栗札、安産杓、下社と上社で若干違う薙鎌守

開運鈴守、肌身袋守、御柱箸、勝栗札、安産杓、下社と上社で若干違う薙鎌守

祈願絵馬

拝所の近くに祈願絵馬も奉納できるようになってました。

社務所

御朱印が授かる社務所は北参道側の鳥居をくぐった右側。

社務所の中の様子

御朱印帳は赤色と青色のが1,000円、黒っぽい一回り大きそうなのが1,500円。

諏訪大社上社本宮御朱印

御朱印は500円。

実は上社本宮で諏訪大社四宮の御朱印が全て揃いました。

御朱印を集めると記念品もらえるんです→もらい方など詳しく→諏訪大社4社御朱印巡りして御神供授かった



上社本宮境内図など

諏訪大社上社本宮境内図

諏訪大社上社本宮境内図。

諏訪大社上社本宮境内図

諏訪大社由緒略誌(拡大)


諏訪大社上社本宮資料

諏訪大社上社本宮資料(拡大)



アクセス、駐車場



諏訪大社上社本宮:住所:長野県諏訪市中洲宮山1 電話:0266-52-1919

諏訪大社上社本宮へのアクセスは中央自動車道諏訪湖インターが近く高速降りてから約2.9キロ車で約6分の道のり。

諏訪大社上社前宮からは約1.7キロ車で4分、頑張れば歩いても行ける距離、諏訪湖間欠泉センターから約7.9キロ車で約17分。

諏訪大社下社春宮からは約12.4キロ車で27分、諏訪大社下社秋宮からなら約11.1キロ車で24分。

電車の場合、中央本線茅野駅から約3.3キロ歩いて約40分、タクシーなら約10分(おおよその乗車賃1540円)、上諏訪駅から歩くのはしんどいですが市内循環バスであるかりんちゃんバス(時刻表など)で本宮(バス停上社または上社北参道)へ行く事もできます。

私の場合、桐生市街地から高速道路を利用して諏訪大社上社本宮まで約179.3キロ、車で約183分でした。

大きな駐車場の看板

道路沿いに大きな駐車場の看板があるからとてもわかりやすかったです。しかも広い無料駐車場でした。

北参道への案内看板

この駐車場に停めると北参道からお参りする事ができます。


 

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