諏訪高島城

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諏訪高島城に行った

諏訪高島城(高島公園)に行ったよ


私はTVなどで諏訪姫(諏訪御料人・由布姫・湖衣姫)の印象が強い高島城は行ってみたいお城の1つでした。また、行く前は日本三大湖城の一つだから諏訪湖湖畔にあると思い込んでましたが、それは昔の話のようで今は諏訪湖から少し離れた場所にありました。そして復興された天守閣や門など全体的に高島公園として整備されていて見応えもあり、歴史ロマン感じる素敵なお城と公園になってました。

諏訪高島城とお堀

堀の方からだと現代の建物が入りにくい角度となって江戸時代にタイムスリップしたみたいな撮影スポットもありました。

評価:4.8 見応え◎ 所要時間約60分 コスパ◎ 天守300円、駐車場無料




目次

天守拝観の様子

高島公園の様子と見所

感想と口コミ

パンフレット

アクセス、駐車場




天守拝観の様子

諏訪高島城天守閣前の階段

高島公園に入ってまずは天守閣へ向かいました。

天守閣受付

お城の中に入るとすぐに受付があり、拝観料は大人300円、小人150円でした。JAF会員証割引もできて大人100円割引、小人50円割引でした。

営業時間は4月1日~9月30日までは9時から17時まで、10月1日~3月31日までは9時から16時30分まで。

諏訪高島城天守閣入場券

定休日はないようですが、3月5月8月は清掃で半日休館したり11月第2木曜日と12月26日~31日までは休みだそうです。

記念撮影スポット

撮影スポットがあり、誰もいなかったのでオジサンチャンスで撮ってきました。

武田氏と諏訪御料人の説明パネル

天守閣1階は諏訪に関する資料パネルがあり、武田信玄や諏訪御料人についても書かれていました。

明治4年撮影の高島城

高島城復興工事の様子、江戸時代から現存していた明治4年の時の高島城の写真もありました。廃藩置県により明治8年(1,875年)に破却などされて石垣ぐらいしかない状態になっちゃったそうです。

御枕屏風

高島藩領内見取著色絵図 である六曲一双の御枕屏風。レプリカだったかな?本物だったかな?

甲冑など

また甲冑などの展示もありました。

諏訪高島城の階段

パット見外観は鉄筋コンクリート造りに見えないほど素晴らしいお城ですが、内部はモロ現代・・・ビルの階段・・・・

2階に上がると撮影禁止のフロアで高島城築城、藩主、藩士、藩政をテーマごとに遺品や資料を展示してました。

天守閣展望室の様子

3階は展望室。

諏訪高島城から見えた諏訪湖の景色

天守閣3階から見た諏訪湖の景色。昔は諏訪湖に突き出した水域にあったそうですが、江戸時代に諏訪湖の干拓で諏訪の浮城ではなくなったそうです。今でも諏訪湖はデカイけど、昔はこの辺りまで湖畔だったならもっと大きかったって事かな。

諏訪高島城から見えた富士山

肉眼では富士山らしきものという感じで見えましたが、カメラのズームで見たら富士山シルエットがぼんやりと見えました。展望室からは東西南北360度景色が楽しめてよかったです。



高島公園の様子と見所

高島公園案内図

高島公園案内図

角櫓

お濠から見た角櫓、復興されたものとはいえ、歴史ロマン感じる良い景色。

冠木橋と諏訪高島城天守閣

冠木橋と復興天守

冠木橋と冠木門

冠木橋と冠木門

冠木門

復興された冠木門(かぶきもん)の説明パネルには「冠木橋を渡ったところに冠木門があった。冠木門とは、左右の柱の上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことをいうが、高島城を描いた絵図からは、楼門あるいは高麗門と呼ばれる屋根付きの門であったことがわかる。おそらく、当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、名称のみ残されたものであろう。」とありました。

本丸跡の石垣

冠木橋の石垣の所に『高島城本丸の堀と石垣』という説明パネルがあって「高島城は、衣之渡川・中門川などの川を堀とし、諏訪湖と阿原(沼沢地)に囲まれ、縄手だけが城下町に通じていた。天守閣の石垣と、本丸の正面と東側の石垣は規模が大きいが、西川と南側の石積みは簡単なものであった。衣之渡郭・三之丸・二之丸などの石垣も比較的小規模である。石垣は、野面積みで、稜線のところだけが河口した石を用いている。地盤が軟弱なので、沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいる。」とありました。

冠木門横の大木

冠木門の所にはとても大きな木が。上写真の人と比べても巨木だというのがわかります。紅葉の見頃まであともう少しって感じ。

高島城本丸絵図

高島城本丸絵図

高島城 浮城とも言う碑

高島城 浮城とも言う『この地は高島城本丸跡である この城はおよそ三百八十年前 文禄 慶長年間日根野織部正高吉が七年を要し彼独特の築城の技術を生かし諏訪湖の波打ちぎわにきずいた難攻不落の水城で別名を浮城とも言われている 関が原役の後は諏訪氏の居城となりそのまま転封もなく維新までつづいた
 この間 城は中山道や甲州街道の道中記には必ずのせられる名勝でもあった
 本丸内は藩主の御殿や書院 また一般政務の御用部屋 郡方 また賄方などがあり 能舞台 氷餅部屋など多くの建物で埋まっていた
 明治維新の改革で高島藩は消え 明治八年には天守閣も破却されたが 諏訪氏の在城二百六十余年間 一度も百姓一揆をおこさせるような暴政のでたことのない名城であった
 明治九年本丸跡は高島公園として公開され 護国神社も祭られ 諏訪の人人の心のよりどころとして親しまれてきた 今日も城内と言われた大手門以南の地形がおおよそ昔のままの姿をのこして近世の城郭を考えるいい資料である 今度の復興については文部省文化財専門委員大岡実博士の設計により 破却当時の姿を忠実に再現したものである
 庭園は天守閣復興とともに諏訪高島城復興期成同盟会長岩本諏訪市長が自らの設計により 諏訪市が人の心の和によっていよいよ発展することを念願して 人字形の池に心を島で表わし 滝や渓流を配して躍動感を与えて造られたものである』と書かれていました。

日本庭園と池

公園のほぼ真ん中に大きな池。

池の周りにいた鴨

鯉が泳いでたり鴨がいたり、周りの木々には沢山の鳥がいて水飲み場として利用してるようで人間以外でも憩いの場になってました。

本丸御殿跡の日本庭園

少し紅葉しててなかなか美しい日本庭園。ここには「本丸御殿跡」という説明パネルがあり『ここは、本丸御殿があった場所である。家老など重職との接見(せっけん)や重要な行事が行われた表御居間(おもておいま)・御次(おつぎ)・下御次・下段之間があり、御納戸(おなんど)・中御納戸・御祐筆(ごゆうひつ)部屋・大納戸部屋など藩主(はんしゅ)の身の周りの世話をする部屋が付属していた。  奥には藩主の私生活の場である御休息居間・同ニ之間・同三之間があり、江戸城でいえば、大奥(おおおく)にあたる長局(ながつぼね)と呼ばれる部屋が隣接していた。  また、御用部屋や郡方(こおりがた)、御勝手方(おかってがた)など藩政(はんせい)の中核となる部屋も備えられていた。』と書かれていました。

高島城の藤

近くには立派な藤棚もあり4月下旬~6月上旬くらいまでは見事な藤とあの良い香りが公園内に漂うのでしょうね。

高島城の藤は諏訪市天然記念物指定されてて推定樹齢120年のようです。『このフジは「高島公園のフジ」として古くから親しまれている。高島城が破却され、城址が公園と定められたのが明治8年、開園が9年5月。このフジは当時植栽されたもので、市内では最古のものである。5月には紫色の蝶形花をたくさんつけた総状花序をたれてみごとである。』と説明書きがありました。

三之丸御殿裏門(渡川渡門跡)

三之丸御殿裏門(渡川渡門跡)『ここは、かつて御川渡御門(御川戸門)と呼ばれた門があった場所である。城が湖に面してたころは、ここで湖の船に乗ることができた。この門は三之丸御殿の裏門である。三之丸御殿は、藩主の別邸で、吉凶その他の儀式に使われた。また、藩主がくつろぐところでもあった(現在の高島一丁目八番地付近)。門は、昭和六十三年に所有者から市に寄贈され、この地に移築された』とありました。

富士見櫓跡

富士見櫓跡

多門跡

多門跡

小天守跡

小天守跡

高島城亀石

高島城亀石というパワーストーン発見『この亀石は、元々 城内の庭園にあったが明治八年廃藩の時に城外に移され、以後所有が引き継がれ河西謙吉氏庭に安置されていた。
 平成十九年、百三十二年ぶりに高島城公園に戻った由緒ある石。  水をかけると、まるで亀が生きているようになり願いがかなうと言われています。』

石集配湯升

石集配湯升、他に氷餅部屋跡、芭蕉の句碑や慰霊碑もありました。

高島公園の遊具

ブランコなどもある遊具広場、まさに公園という感じ。

諏訪護国神社鳥居

天守閣と反対側にあったのが諏訪護国神社。

諏訪護国神社拝殿

神社の中では比較的新しめな明治33年にできた神社だそうです。諏訪大社の拝殿に似てて、また御柱も建ってました。

諏訪護国神社本殿?

後ろ側のほうを見るとあれが本殿かな?

諏訪護国神社の社務所

御朱印を授かろうと社務所に行きましたが、留守のようでした。いつも誰かがいるという感じの神社ではなかった感じのする境内でした。



諏訪高島城(高島公園)に行った感想と口コミ

天守閣の中にもそして公園内にも説明パネルがあり、色々勉強となったのですが、冒頭に書いた「私はTVなどで諏訪姫(諏訪御料人・由布姫・湖衣姫)の印象が強い高島城は行ってみたいお城の1つでした」とは、今、この諏訪高島城とは別場所、別城の事がわかりました・・・・・・・・・

武田氏が諏訪の拠点としていた高島城は茶臼山城とも呼ばれていて現在の上諏訪駅の山側でした。だから武田勝頼の母はこの地の城にいたワケではなかった・・・・・

今いる諏訪高島城は武田氏も滅亡し、織田信長も本能寺の変で討たれた後の1590年に日根野織部正高吉がまず、茶臼山にあった高島城へ入城し、そしてこの場所に1598年新城が完成し、これが諏訪高島城。

諏訪高島城天守閣

TV放映で見た姫様が住んでた城は湖畔にあってそのイメージが強かったですが、この諏訪高島城も素敵な城でした。城址は各地にありますが、復興天守閣があるか、ないかでまったく景色も歴史ロマンの感じ方も全然違いますね~。水のある堀、橋、門、天守、櫓と写真撮りまくりました。パット見外観は鉄筋コンクリート造りに見えない所がいいですね~。ただ内部は・・・・ここが城内という面影はなくビルの中って感じでしたけどね。前日に松本城に行ったから、比べちゃうと、外観はどちらも城、内部が城内とビル内になっちゃう・・・・・

広かった高島公園

諏訪高島城は天守閣だけなら所要時間20分~30分ぐらいだろうと思ってきましたが、確かに天守閣の所要時間は20分前後、じっくり資料パネル見たら1時間以上はかかるボリュームでしたけどね。それより高島公園がこれほど広く、素晴らしい公園というのを知らなかったから、全体的に所要時間は写真撮ってたりして60分ぐらいいました。これでも結構足早で散策したから、次回また来る事があったらベンチに座って休憩したりゆっくりと散策したいところ。ちなみにランチなど食事できるお店などはなかったです。群馬県には天守閣のある公園はないから羨ましかったし、とても素晴らしい場所でした。

部屋の窓から見えた諏訪高島城ライトアップ

今回はすぐ近くの諏訪湖レイクサイドホテルに泊まったのですが、部屋の窓から夜は諏訪高島城がライトアップされるのを見ました。今後悔してるのは、疲れててもう外に出るのが面倒になって・・・・近くまで行ってライトアップされてる諏訪高島城を見なかった事。頑張って行けばよかった・・・・・・


パンフレット

諏訪高島城パンフレット1

諏訪高島城パンフレット1(拡大)


諏訪高島城パンフレット2

諏訪高島城パンフレット2(拡大)


アクセス、駐車場



諏訪高島城:住所:長野県諏訪市 高島1-11-16 電話番号:0266-53-1173

諏訪高島城へのアクセスは中央自動車道諏訪インターから約4.8キロで車で約10分。

諏訪湖間欠泉センターから約1.7キロ車で約5分、諏訪大社下社秋宮から約5.7キロ車で約14分、諏訪大社上社本宮から約5.8キロ車で約15分。

電車の場合、中央本線上諏訪駅より約955m歩いて約11分、または市内巡回バスである「かりんちゃん」バスにて行く事もできる(時刻表など)

私の場合、桐生市街地から高速道路を利用して諏訪高島城まで約174.7キロ、ノンストップなら車で約175分でした。

高島公園案内図

お城の一帯が高島公園となっていて周りに無料駐車場がありました。

天守閣と車

この駐車場は他に車が停まってなかったら天守閣をバックに愛車が撮影できるんですね。平日の早朝がチャンスかな?


 

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