浄林寺に行った
浄林寺に行った
松本市にある清水山華厳院浄林寺は、小笠原氏創始の寺とされ、院号から華厳宗のお寺であったと推測できるが、現在は明治5年(1872年)廃寺から観音堂を本堂として復興した京都知恩院の末寺にあたる浄土宗の寺院である。
現在の場所と江戸時代までの場所は少し違うようであるが、昔は末寺を持つほどの大寺院で、信濃松本藩第二藩主である石川康長(誕1554年~没1643年)の時代は菩提寺として徳川家康の側近から豊臣秀吉に仕えた松本初代藩主石川和正の御霊社も祀ってたそうです。
正直な話、写真の景色を見るまでは浄林寺という存在を知らなかった。松本観光で宿泊した「ホテルマツモトよろづや」の客室の窓から「なんかデカイお寺があるぞ」というのがわかり、隣だったから行ってみました。
実際に見てそこのあった説明書きのパネルなどを見て浄林寺というのは歴史があり、昔は松本地方では大寺院だったと知りました。また廃寺となった昔のお寺の部材は旧開智学校で利用されたそうです。
境内の様子や感想と口コミ
松本市重要文化財である山門、説明書きには『山門は、元禄年間(1688~1704)の建造と伝えられており松本市内寺院の山門の中でも古い、入母屋造り本瓦葺きの四脚門で左右に袖を持っている。幹は二軒繁垂木で、門の扉は唐戸である。』元禄年間とは5代将軍徳川綱吉の時代で忠臣蔵で有名な赤穂浪士事件のあった年代。
『組物や彫刻もすぐれており、頭貫や割束も大振りで江戸時代初期の手法が見られる。また山門の正面には、祐天寺第二世祐海上人筆「清水山」の山号額がかかっている』とありました。
門の横には『生かされてる 今日の命 おかげさま』と張り紙がありました。
本堂前でまずはお参り。柵があって近づけない・・・・・阿弥陀如来がご本尊なんだそうです。
門前の張り紙は色褪せてなかったので、人が書き替えてると思うにですが、本堂石段前はかなり残念な事に・・・・御朱印があれば授かろうと思いましたが、寺務所らしき建物は見つからず人の気配があるお寺ではなかったのですが、境内は落葉もあまりなく、綺麗に掃除されてる感じでしたが、枯れ果てたプランターが何故に本堂お参り中央の一番目立つ所に置きっぱだったんだろう???
『もう1つの江戸時代の建物として現存している鐘楼は、弘化2年(1845年)の建立で、立川流の作といわれる。特に龍の彫物は伊勢町の人で立川和四郎富重・弟専四郎富種の弟子である原田倖三郎、倖三父子の作と伝えられている』とありました。1845年は十二代将軍徳川家慶の時代。
防鳥ネットがあって見ずらかったですが、彫刻がありました。
お地蔵様
庭園。落葉もないし、樹木も綺麗に手入れされてるのに、あの枯れ果てたプランターは何か意味があって残してたんだろうか?
今の浄林寺は写真のように狭い境内内に大きな本堂、鐘楼、山門と。だから所要時間は10分程度なのですが、狭くても江戸時代の建造物などを見てると歴史ロマンを感じるお寺でした。
また境内には瘡守稲荷神社がありました。
手水舎
こちらも狭い境内敷地にあるのですが立派な社殿と彫刻。
神職の方に聞くと狐であっても狛犬は狛犬なんだそうですが・・・・この狐の狛犬デカイっす・・・・こちらも社務所はなく御朱印やお守りやおみくじはなかったです。
でも、歴史あるお寺とこんなに大きな狛犬の稲荷神社を見たのも初めてだったから、行ってみてよかったです。
アクセス、駐車場
浄林寺:住所:長野県松本市中央1-24-2 電話:0263-32-0376
浄林寺へのアクセスは長野自動車道松本インターが近く高速降りてから約2.5キロ車で約7分の道のり。
松本駅から約359m歩いて大体4分くらい。四柱神社から約498m歩いて大体6分くらい、松本城から約977m歩いて12分くらい。
私の場合桐生市街地から高速使って浄林寺まで約207.1キロ、車でノンストップなら約161分でした。実際はお隣の「ホテルマツモトよろづや」から歩いて行ったんですけどね・・・・
参拝者駐車場は見当たらなかったですが、周りに時間貸しの駐車場はいくつか見かけました。
浄林寺隣の「ホテルマツモトよろづや」の駐車場なら20分50円。
コメント/口コミ