諏訪大社上社前宮に行った(御朱印)
諏訪大社上社前宮に御朱印を授かりに行ってきた
諏訪大社二社四宮参りの三宮めは茅野市にある前宮、読み方は「かみしゃまえみや」で「ぜんぐう」ではない。行く前に仕入れた事前情報は、上社の中で最も古い社であり諏訪地方での祭祀発祥の地ともされてる。ここも祭神は建御名方神(男神)八坂刀売神(女神)となっているが、遠い昔は縄文時代から諏訪地方をはじめ東日本で信仰されていたミシャグジ神との関わりもあるらしい。また上社の摂社として江戸時代までは「前宮社」という名称、明治以降に「上社前宮」となる。また二社四宮の中で前宮だけ本殿があるとの事。今回の諏訪大社も、どんな感じの神社か行くのが楽しみ~!なお諏訪大社初詣は10万~20万人参拝すると云われる人気神社だからお正月は境内大混雑周辺道路渋滞が凄いそうですが、私が参拝した日は普段の平日だからゆっくりできました
目次
・諏訪大社前宮の感想と口コミと境内の様子
・御朱印とお守りとご利益
・上社前宮境内図など
・アクセスや駐車場
関連ページ→春宮・秋宮・本宮・四社巡り御朱印記念品・木落し坂
諏訪大社前宮の感想と口コミと境内の様子
参拝者専用駐車場から横断歩道を渡って参道に向かったのは二社四宮の中でこの前宮のみ。
鳥居をくぐりさらに奥へ、社殿のようなものはまだ見えず・・・・なんかう~んと歩きそうな予感・・・
ちょっと広い場所にまた鳥居。左側の建物が十間廊、右側に見えるのが内御霊殿(内御玉殿)。この鳥居に右側に社務所があったので先に立ち寄りました。
先ずは御朱印をお願いしてその場で授かってから参拝スタート。
なお、諏訪大社上社前宮は、ペットを連れての参拝禁止、ポケモンGO禁止、ドローン飛行禁止になってました。
ここは神殿殻の木
この場にあった境内図というか、前宮史跡案内図を見て、この境内の広さというか見所の多さがわかりました。何故こんなに広く多く、しかも諏訪大社二社四宮の中で史跡になってたのか?この時点ではわかりませんでしたが、後で調べたら、事前情報で仕入れた諏訪地方での祭祀発祥の地だから、その名残りが数多くみられるからなんだそうです。前宮に来たのは夕方、史跡巡りも好きな私ですが、とても1~2時間で見て回れる数ではなさそうでした・・・・・
神殿の近くに「若御子社」説明書きには『諏訪明神とあがめられる建御名方命の御子達を合祀しているといわれる。諏訪大社関係にはきわめて優れた古記録、文書が多いが、その中でもっとも名高い文書に「諏訪大明神画詞」がある。室町時代にあらわされたこの文書の中に正月一日、大祝以下の神官氏人はみな衣服をただしてますこの若宮すなわち若御子者を荒玉社と共に参詣したとある。現在は諏訪神社の末社となっている。』と書かれてました。
大祝(おおほうり)とは諏訪氏(神氏)の事。一番偉い人から皆この若御子社をお参りしたという事みたい。
手水舎、社務所、神殿、若御子社のある所から本殿まで坂上方向へ100mの案内もあったので鳥居をくぐってそちらに向かう事に。
鳥居くぐってからあったのは十間廊(じっけんろう)、説明書きには『古くは「神原廊(ごうばらろう)と呼ばれ、中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場で、すべての貢物はこの廊上で大祝の実見に供された。毎年四月十五日の「酉の祭」には鹿の頭七十五がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿が入っていることから諏訪の七不思議の一つにかぞえられた。
上段に大祝の座、つぎに家老、奉行、五官の座があり、下座に御頭郷役人(おとうごうやくにん)などの座も定められ、左手の「高神子屋」で演ぜられる舞いを見ながら宴をはった。』と書かれてました。
気になったのが「諏訪の七不思議」、調べてみると諏訪大社の七不思議とも言われ、上社、下社それぞれ七不思議(上社下社重複もある)があって、御神渡りや6月30日の田植え神事をすると7月下旬には収穫できたりなど他は割愛しますが御神渡り以外は説明がつかない摩訶不思議現象があったそうです。
十間廊の近くにあったのが「内御霊殿(内御玉殿)」、説明書きには『諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿である「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」といわれたように諸神事にあたってこの円御玉殿の扉をひらかせ、弥栄の鈴をもち眞澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をさなえた現身の諏訪明神そのものであった。
現在の社殿は昭和七年改築されたものであるが以前の社殿は天正十三年に造営された上社関係では最古の建造物であった。』と書かれてました。
天正十三年とは1585年豊臣秀吉が関白となった安土桃山時代、なぜ改修ではなく改築してしまったのだろうか?ちょっと残念・・・・
石畳の緩やかな坂道を上って本殿へ向かいました。この前宮、下社春宮や下社秋宮とも、普通の神社とも様子がちょっと違う感じ。鳥居を二つくぐって社務所や十間廊と内御霊殿(内御玉殿)の間を抜けた後に視界が開けて、参道がまるで民家の中の通り道っていう感じ。
途中この通り沿いに説明書きがありました。「小町屋の中小路」そこには『小町屋宗拓は前宮を中心として大まかに三本の道筋が通っている。その真ん中を上っていく道を中小路と呼んで、戦前までは一般の人々の前宮本殿への参詣道路であった。
中世の古文書資料等から想定されるところでは、この中小路の両側には、水眼の清流をはさんで、前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する家臣たちの屋敷地が立ち並んでいたと思われる。
また精進潔斎し、穢れをとって前宮の、神事や祭礼に奉仕する人たちの精進小屋なども設けられたところで、景観は大事に保存したい。』とありました。
この道の右側に「御室社」、説明書きには『中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに、「穴巣始」といって、冬ごもりをした遺跡地である。
旧暦十二月二二日に「御室入り」をして翌年三月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていあたが、中世以降は惜しくも廃絶した。』とありました。
石畳の「小町屋の中小路」の緩やかな坂道を周りをキョロキョロしながら上っていくと説明書きはないけど、祠や遺構っぽいものが所々あったりして、昔はこの辺りに諏訪大社関係の人たちの集落があった事を偲ばせてくれました。
社務所周辺から100mとありましたが、200m近かったような気もしますが、一之御柱と二之御柱の間に見える諏訪大社上社前宮拝殿に到着。
通りには途中疲れたら茶処山里というお店が一軒だけありました。
まずは参拝。
拝所を回り込むように後ろ側に行くと上社前宮本殿が見えました。そこにあった説明書きには『前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられている。前宮の祭神は、建御菜方命と、その妃八坂刀売命と古くから信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。
古来より立入ることが固く禁じられ侵すときは神罰があるといわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目毎に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜あれた材で造営されたものである。』とありました。
拝殿、本殿前は視界が開けていて、神様が下界の人たちを見下ろして見守ってるという感じの佇まいでした。
拝殿、本殿の左側、三之御柱との間に名水「水眼」の清流がありました。説明書きには、『古くから すいが と呼ばれ、山中より湧出する清流は、前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔から御神水として大切にされた。
中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されている。
この水眼の源流は、これより1キロメートルほど登った山中にあるが、昭和五年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻にとりあげられている。』とありました。確かに水は澄んでいて綺麗で触るとヒンヤリ冷たかったです。
夕方だったので灯篭に灯も点いていい雰囲気でした。諏訪大社は下社でも上社でもどこでもパワースポットとなってますが、この前宮は諏訪大明神を祀る一番偉い大祝、以下神官、配下の者が居住と政治を司ってた地でもあるので、数々の史跡といい、個人的には一番のパワースポットのような感じを受けました。塀や木々で社殿が囲まれた環境でなく下界を広く見渡せるようにできてる感じの立地で他の神社とは雰囲気が違っていて人間界の近くにいる神様の御殿という感じなんです。だから願い事も一番親身になって聞き入れてくれそうです。
暗くなりそうなので帰路につく事に。帰り道もキョロキョロ、色々あるんですよね~。
諏訪照雲頼重の供養塔。『この地は、もと「大祝様御屋敷地」といわれた神殿に近く、明治初年に五輪塔及び多宝塔の石造物残欠が多数出土し、付近住民によって私有地の一角に保存されてきた。当時は五輪塔火部に「照雲」との銘が判読できたという伝承があり、中世前期の形式をそなえた貴重な歴史的遺物である。
照雲とは三河入道道頼重のことで、太平記にも名をとどめ、建武二年(一三三五)七月十四日に北条氏再興をはかってこの地に決起し、北条時行(高時の遺児亀鶴丸)を擁立して中先代の乱」を戦い鎌倉を占拠した信濃勢の総大将であった。しかし、足利勢の大軍に敗退し、八月十九日,遂に勝長寿院大御堂にて壮絶な自害をし果てたと記録されている。近年これら石造物も風化損傷がひどくなり地元保存会が補修整備を行ったものである。』と書かれてました。
石畳のマンホールには茅野市を代表する北八ヶ岳ロープウェイや国宝「仮面の女神土偶」が描かれて鮮やかでいい感じ。
駐車場に向かう途中「溝上社」そこには『祭神は高志奴奈河北賣命といわれ御射山へ出発うる際にまず参拝詣された社であった。水眼の清流をたたえた「みそぎ池」の中にあり、西の方に「神の足跡石」があった。
この社は武田支配時代には山浦の南大塩郷によって造営奉仕がされていた。』と書かれてました。
あ、道路を渡って駐車場にもあった!!「荒玉社」そこには『新御魂社」とも書き、原始農耕の神事として田の神を降し、稲の御霊をまつる社で上社の重要な摂社である。
古書によれば正月元日にはまず大祝以下の神官氏人が参拝し、旧暦二月晦日の春祭の最初にあたり神使が出仕して「野出の神事」が行われたとあり現在も続いているが簡単な神事だけになっている。なおこの社の造営は、古来より山浦の中村郷の役であった。』と書かれてました。社務所近くにあった「若御子社」の説明書きにあった「荒玉社」は駐車場内でした。
さて私の場合諏訪大社上社春宮の所要時間はキョロキョロしながら約45分でしたが、拝殿に行って帰ってくるだけなら20分前後ぐらいだと思います。じっくりと色々史跡巡りしながら見て回りたい人は半日はかなりそうな広さでした。他にも前宮史跡には鶏冠社、的場薬師、子安社、天満宮、阿弥陀堂、神武様、拍手者、山の神古墳、諏訪氏御廟所、荒神様、由久保古墳、樋沢古墳、千沢城跡、諏訪氏御廟所、大石さま、式部さま邸などなどが点在してるから。次回機会があったらじっくり見て歩いてみたい所でした。
余談ですが、安国寺史友会の作成した説明書きは素晴らしいですね。どこでも史跡や文化財の横に説明書きが掲示されてたりしますが、昔の漢字を使ってたり、自分の知識を自慢するように難解な言い回しをする説明書きも多い中、この前宮の説明書きはどこも素人の私でもわかりやすく読みやすかったから素晴らしかった。
なお、上社前宮は駐車場から本殿まで茶処はありましたが、ランチなど食事ができそうなお店は見当たらなかったです。
御朱印とお守りとご利益
諏訪大社上社前宮と下社春宮、下社秋宮、上社本宮の祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)、妃の八坂刀売神(やさかとめのかみ)であるが古くはミシャグジ神、個々の神様というより一括して「諏訪大明神」としてるらしい。古来は狩猟、漁業、豊穣、そして坂上田村麻呂時代あたりから軍神として、戦勝祈願をしてご利益を得てたそうですが、今では全てのご利益がある「諏訪大明神」だそうです。
社務所の上に札や各種お守りが掲示されてました。
安産守、交通安全守、御柱守、開運鈴守、学業成就守、えんぶすび守。
勝守、無病息災守、勝栗札、心身健全守。
七五三御守、勾玉の特別御守、なき鎌守など。
開運鈴守、肌身袋守、御柱箸、勝栗札、安産杓、下社と上社で若干違う薙鎌守
御朱印500円。
二社四宮の御朱印を集めると記念品がもらえました→詳しくは→諏訪大社4社御朱印巡りして御神供授かった
上社前宮境内図など
諏訪大社上社前宮境内図(信濃一之宮諏訪大社前宮史跡案内図)
諏訪大社由緒略誌(拡大)
アクセスや駐車場
諏訪大社上社前宮:住所:長野県茅野市宮川2030 電話:0266-72-1606
諏訪大社上社前宮へのアクセスは中央自動車道諏訪湖インターが近く高速降りてから約2.3キロ車で約5分の道のり。
諏訪大社上社本宮からは約1.6キロ車で4分、頑張れば歩いても行ける距離、諏訪湖間欠泉センターから約8.6キロ車で約19分。
諏訪大社下社春宮からは約13.5キロ車で約30分、諏訪大社下社秋宮からなら約12.3キロ車で約27分。
電車の場合、中央本線茅野駅から約2.5キロ歩いて約30分、タクシーなら約7分(おおよその乗車賃1000円)、上諏訪駅から歩くのはしんどいですが市内巡回バスであるかりんちゃんバス(時刻表など)で前宮(神社前バス停)へ行く事もできます。
私の場合、桐生市街地から高速道路を利用して諏訪大社上社前宮まで約178.1キロ、車で約180分でした。
道路沿いに大きな駐車場の看板があるからとてもわかりやすかったです。
しかも大型バスも余裕で停まれる広い無料駐車場でした。
駐車場から道路を挟んで目の前に諏訪大社上社前宮がありました。
コメント/口コミ