諏訪大社下社秋宮に行った(御朱印)
諏訪大社下社秋宮に御朱印を授かりに行ってきた
初めての諏訪大社お参りの1社目はこの下社秋宮。読み方は「しもしゃあきみや」で「しゅうぐう」ではない。諏訪大社4つの宮の中でここを選んだ理由は、以前何十回も境内前の道路を車で通過しただけで、時間ができたらいつかお参りに行こうと思っていた神社。そして行け時ちょっと下調べしてみると、祭神は建御名方神(男神)とその妃の八坂刀売神、また兄神の八重事代主神。重要文化財指定の建造物は幣拝殿と神楽殿。本殿がない神社だがの後ろに御神木=御神体と2つの宝殿があってその片方に神輿が納められていて御柱建て替え時にもう片方へ遷座されるそうです。
いつかお参りにと思って何十年も過ぎてしましましたが、じっくり行く機会ができたので諏訪大社下社秋宮観光兼参拝が楽しみでした。諏訪大社初詣は10万~20万人参拝すると云われる人気神社だからお正月は境内大混雑周辺道路渋滞が凄いそうですが、私が参拝した日は普段の平日だからゆっくりできました
評価:5.0 見応え◎ 所要時間約45分 コスパ◎拝観無料、駐車場無料
目次
・諏訪大社下社秋宮の感想と口コミと境内の様子
・御朱印とお守りとご利益
・下社秋宮境内図など
・アクセス、駐車場、景色
関連ページ→春宮・前宮・本宮・四社巡り御朱印記念品・木落し坂
諏訪大社下社秋宮の感想と口コミと境内の様子
若い頃、長野自動車道がなかった頃住んでた名古屋、大阪⇔群馬間で昼も夜もどれだけ走ったか。やっと落ち着いて観光とお参りに来る事ができました。
目の前の道路からも境内の様子はわかりにくかったですが、正面の鳥居も木々に囲まれてて神々しい雰囲気でワクワク。
なお、諏訪大社下社秋宮は、ペットを連れての参拝禁止、ポケモンGO禁止、ドローン飛行禁止でした。
正面の鳥居の手前には手水舎と御柱祭の木落しの様子を人形などで表現したからくり装置のあるオルゴール塔がありました。8時~16時の間の00分、20分、40分と1時間に3回。
演奏曲は昭和36年春、当時の美智子妃殿下が諏訪大社秋宮をご見学された時にご希望された名曲「小舟にて」。
申寅の年の御柱祭に歌われる瑞唄「御柱小唄」。
午後4時のみ演奏されるドボルザーク新世界交響曲第二楽章「家路」。聞きましたが優しい音色でした。
このオルゴール塔はオルゴールのシェア世界一という地元企業の日本電産サンキョー製らしく、秋宮から約100mぐらいの所に「オルゴール記念館すわのね(入館料大人1,000円)」があって、お参りとセットで観光に行く人も多いそうです。
正面側にあった鳥居の左側、手水舎とオルゴール塔の奥に史跡に指定されてた「千尋池」。木に覆われてて神々しい雰囲気がありました。売神祝ノ印という重要文化財の下社宝印がを失ってしまっていたがこの池にて発見できたらしい。その事から神様の池とも云われてらしい。
そしてここの池の近くにあったのが「千尋社」
秋宮正面の鳥居の右側に「八幡社」と「秋宮恵比寿社」この2つのお社は秋宮参道より一段高い、まるでこんもりとした古墳の上に建ってる感じでした。
由緒書きには『秋宮恵比寿社は諏訪大神の御父神大國主神と 御兄事代主大神を御祀り申し上げております。
この二柱の大神は農漁業の開祭・商工業の発展に誠にあらたかな神様であり又家繁栄の守護神として世に福の神大國様恵比寿様と其の御神徳を称を申し上げて殊に諏訪大神と非常に御縁故の深い神様でありますので御本社出雲大社及美保神社からはるばる御分霊を御受け致しまして昭和二十三年十一月二十日御鎮座祭を致し当大社の末社として奉斎致してあります。』とあったので近代にできた神社なんですね。
秋宮の鳥居に戻りって中へ。参道は少し上り坂でした。
鳥居からちょっと歩くと目の前に「寝入りの杉」これは樹齢600年以上とも700年とも言われる杉の木なんだそうで丑三つ時になると枝を下げて寝入いびきが聞こえ、子供に木の皮を煎じて飲ませると夜泣きが止まるんだそうです。
寝入りの杉を挟んで左右二手に参道がありましたが、掲示されてた下社秋宮境内ガイドを見るとお参りの作法?参拝順路があるのかな?左側に矢印が書かれていたので左に行く事に。
左手に行くと最初にあったのが宝物殿。ここは大人500円、小中学生300円。上社本宮の宝物殿と共通拝観券なら大人800円、小中学生500円とセット割り200円安くなってました。拝観時間は9時から17時まで(最終入館16時30分)、この中には先程の千尋池で見つかった重要文化財の宝印である売神祝之印や武田信玄奉納の日本刀や松平忠輝の奉納品、山本五十六や東郷平八郎が奉納した直筆の巻物などが納められてるそうです。時間がなかった・・・次回の楽しみにとっておこう。家に帰ってここは後悔してます・・・
寝入り杉から左側に歩いても右側を歩いても神楽殿の前に出ます。
手前の狛犬は高さ1.7mもあって青銅製では日本一の高さであろうと云われてるそうです。でっかい太い注連縄にもビックリ!
この神楽殿は国の重要文化財で神様に雅楽や舞を奉納したり、祈願を行う建物。1835年に上社本宮幣拝殿を手掛けた立川流の宮大工、二代目立川和四郎富昌54才により建てられたもので正面に飾られる大きな注連縄は重量1トン長さ13m、出雲大社型で日本一の長さと言われてるそうです。なるほど、デカイわけだ。1835年とは11代将軍徳川家斉の時代で天保の大飢饉の真っ最中の頃の造営。
注連縄も驚愕でしたが、この神楽殿、重厚な造り一般的なお寺の本堂の大きさよりデカイんじゃないかというぐらい迫力満点で見応えありました。
中も広かった~。
神楽殿の左手側には土俵と「鹿島社」「子安社」「加茂社」「八坂社」がありました。子安社には諏訪大社の祭神である建御名方神の母神とされる高志沼河姫命を祭ってるそうです。ここでは、よろずの縁を結び、子宝、安産、子育てを司り、女性の人生にご縁の深い神様、お子安さまと称され、親しまれているそうです。子安社は女性のパワースポットですね~。
この日は全国諏訪神社連合大会の菊花奉献大会で一部隠れてしまいましたが、写真左側が右方拝殿、中央が幣拝殿、右側の屋台の後ろ側に左方拝殿。この3棟はいずれも国の重要文化財。幣拝殿は大きく華麗で立派だし、歴史の重みも感じる造りだったし、長年の念願だった諏訪大社に初めてお参りできて何より感動!
この建物の左側には二之御柱あり、その後方も見ると木々の中に三之御柱も見る事ができました。
さて幣拝殿とは参拝者が参拝したり、神職が祭祀を個なったりする建物で1777年の起工から1781年に完成したそうです。工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟。二代目である息子が幣拝殿前にある神楽殿を建造したそうです。
右片拝殿。
左片拝殿。
左右片拝殿には彫刻は見当たりませんでしたが、幣拝殿には細かい彫刻があって、江戸時代の造りって感じがしました。
左片拝殿の右側に一之御柱。
一之御柱の右奥に手前から「稲荷社」御神祭は蔵稲魂神(うかのみたとのかみ)、大宮売命(おおみやのひめのみこと)、佐田彦命(さたひとのみこと)
「若宮社」御祭神は建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)、伊豆早雄命(いづはやをのみこと)、妻科比売命(つましなひめのみこと)、池生神(いけのおのかみ)、須奈美若彦神(すのわかひとのかみ)、片倉辺命(かたくらべのみこと)、蓼科神(たてしなのかみ)、八杵命(やきねのみこと)、内県神(うちあがたのかみ)、外県神(そとあがたのかみ)、大県神(おおあがたのかみ)、意岐萩命(おきはぎのみこと)、妻岐萩命(つまきはぎのみこと)
「皇大神宮社」は伊勢神宮の御祭神天照大神(あまてらすおおみかみ)・豊受大神(とようけのおおかみ)
奥に四之御柱。
片方の御宝殿もちょっとだけ見えました。
一之御柱、二之御柱、三之御柱、四之御柱と幣拝殿まではちゃんと見られましたが、御宝殿は仕切られていてよく見えなかったです。また幣拝殿の後ろ側は木が生い茂ってるから、多分あの木だろう?という感じ。
御神木とは『秋宮では、宝殿の奥に立つイチイの古木を御神体として祀っています。昔は自然信仰で大きな山・石・木を通し、神を崇拝しました。諏訪大社は古いお宮なので自然信仰がそのまま受け継がれて木が御神体となっています。』と案内に書かれてました。
宝殿は『御祭神である建御名方神と妃神・八坂刀売神の御霊代を祀ってあります。左右2つの建物は、7年に一度の御柱祭で1棟が立て替えられ、遷座祭りは行われます。』とありました。
寝入りの杉方向へ戻るとお守りや御朱印などの授与所。
寝入りの杉の右手側に「温泉手水」、温泉だから温かった。御神湯となってて、飲用はできないそうです。
ここで寝入りの杉から時計回りに境内を一周してきました。
他にもさざれ石、『平安時代前期に発見されたさざれ石は石灰が雨水に溶解され粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)となり何千年何万年もの間に小粒な石を凝結して次第に大きな巌となり苔むしてくる石である』と書かれてました。
駐車場と境内を繋いでた長生橋。
その橋の袂に霞ケ城跡(手塚城)とあり、説明書きには『この地は手塚別当金刺光盛の居城跡です。城主光盛は、木曾義仲に従い、寿永二年(一一八三年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。
つづくかが篠原の戦いでは、敗走する平家軍の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。この古式に則った見事な一騎打ちは、武士の鑑とされ、能「実盛」の題材となって今に伝えられている。~割愛』と長々書かれていましたが、肝心の霞ケ城跡(手塚城)の説明が全くなかった・・・・
諏訪大明神御御大祝・金刺盛澄像は駐車場側を背にして諏訪湖を見てるような向きで建ってました。金刺氏は下社の大祝という偉い人、上社の大祝は諏訪氏。室町時代に金刺氏は上社との争いに敗れ他国へ逃げてそれ以後は武居祝からの武居氏がのち今井氏が大祝。同じ神社どおしが大祝を中心として武士団化した時があったと思うと、ここからは私の想像、もしかしたら1500年前~2000年前にできたとされる諏訪大社は、1社できて次は別の人たちが別のを作って、長年経って、どっちかが本宮(ほんぐう)を名乗り始めていがみ合いが続いた?など勝手な妄想と歴史ロマンが広がってしましました。とにかく争ってた時代があったというのは事実みたい。
さて初めて境内の中に入ってお参りした諏訪大社。若かりし頃目の前を車で何度も通り過ぎてた最初の頃は諏訪大社とは他神社同様1つでこの下社秋宮の事だけだと思ってました。その後通り過ぎて近くの看板にて春宮の看板を見てアレ?今回諏訪大社にお参りに行こうと思って、4つある事を知りました・・・・しかし通り過ぎてた頃から何十年も経った今でもお参りしたいと思い続けていた諏訪大社。この年まで無事に暮らせてたのも、もしかしたらそういう思いがあったから?ポジティブに考えるとこの思いは私にとって秋宮がパワースポットで引き付ける魅力があったからかも知れません。
さて、駐車場の隣が境内でそんなに歩かなくてもすみましたし、上社本宮ほど建造物が多くはなかったので私の所要時間は約45分。観光せずにお参りだけなら10分ぐらいかもです。
今回見て回って色々調べて一つ謎がある。毎年二月と八月に春宮と秋宮で神様は行き来する遷座祭があるとの事ですが、春宮に神様がお移りされてたら、秋宮でお参りしてもご利益有効?下社秋宮初詣の時はおられるのだろうか?神様がいる時期は?などなど考えてしまいます・・・・
正面の鳥居前の道路側にランチや食事できるお店が数軒ありました。
なお秋宮の鳥居前にはランチや食事できるお店が数軒ありました。例えば汁もの「神楽」
通りの方には山猫亭という信州蕎麦のお店など。
御朱印とお守りとご利益
諏訪大社下社秋宮は下社春宮、上社本宮、上社前宮の祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)、妃の八坂刀売神(やさかとめのかみ)と兄神の八重事代主神。諏訪大明神は、個々の神様というより一括して呼んでるみたい。古来は狩猟、漁業、豊穣、そして坂上田村麻呂時代あたりから軍神として、戦勝祈願をしてご利益を得てたそうですが、今では諏訪大明神は全ての願い事に対してご利益があるそうです。
安産守、交通安全守、御柱守、開運鈴守、学業成就守、えんぶすび守、勝守、無病息災守、勝栗札、心身健全守などなど。
開運鈴守、肌身袋守、御柱箸、勝栗札、安産杓、下社と上社で若干違う薙鎌守
この御柱絵馬綺麗だし絵が細かい。
諏訪大社御朱印帳は小1000円、大2000円
諏訪大社秋宮御朱印500円
御朱印を集めると記念品もらえます→詳しく→諏訪大社4社御朱印巡りして御神供授かった
下社秋宮境内図など
諏訪大社下社秋宮境内図。
諏訪大社由緒略誌(拡大)
諏訪大社下社秋宮資料(拡大)
アクセス、駐車場
諏訪大社下社秋宮:住所:長野県諏訪郡下諏訪町大門5828 電話:0266-27-8035
諏訪大社下社秋宮へのアクセスは長野自動車道岡谷インターが一番近くて高速降りて約5.9キロ車で約10分。次に中央自動車道諏訪湖インターが近く高速降りてから約9.9キロ車で約21分の道のり。
諏訪大社下社春宮からは約1.4キロ車で3分、頑張れば歩いても行ける距離、木落とし坂からも車で約10分ぐらい、諏訪湖間欠泉センターから約4キロ車で約8分と諏訪湖からも近い。
諏訪大社上社本宮から約11キロ車で約19分、諏訪大社上社前宮からなら約12キロ車で約22分。
電車の場合、中央本線下諏訪駅から約684m歩いて約9分と駅から近い。
私の場合、桐生市街地から高速道路を利用して諏訪大社下社秋宮まで約169キロ、車で約163分でした。
鳥居横の石畳の道を奥に進むと駐車場がありました。
かなりの台数が停められる無料駐車場でした。
諏訪湖の景色も楽しめる駐車場でした。
コメント/口コミ