諏訪大社下社春宮に行った(御朱印)
諏訪大社下社春宮に御朱印を授かりに行ってきた
諏訪大社巡り2宮めは下社春宮、読み方は「しもしゃはるみや」で「しゅんぐう」ではない。秋宮から近い場所にありましたが、駐車場は狭かったです。行く前に事前に仕入れた情報では、毎年2月と8月に春宮と秋宮で神様が行き来する遷座祭のある神社、という事は今参拝して神様はどっちの神社にいるの?という素朴な疑問が・・・・本殿はなくご神体は杉の木。じゃ~常にいるの?という素朴な疑問も・・・2つの御宝殿もあり寅年と申年の左右の御遷座祭も行われ片方は建て直される。また境内内の配置は秋宮と同じなどなど。次はどんな雰囲気の神社なのか楽しみでした。諏訪大社初詣は10万~20万人参拝すると云われる人気神社だからお正月は境内大混雑周辺道路渋滞が凄いそうですが、私が参拝した日は普段の平日だからゆっくりできました
評価:5.0 見応え◎ 所要時間約45分 コスパ◎拝観無料、駐車場無料
目次
・諏訪大社下社春宮の感想と口コミと境内の様子
・御朱印とお守りとご利益
・下社春宮資料
・アクセス、駐車場
関連ページ→秋宮・前宮・本宮・四社巡り御朱印記念品・木落し坂
諏訪大社下社春宮の感想と口コミと境内の様子
駐車場からすぐ諏訪大社下社春宮の石鳥居が見えました。
石鳥居と反対側の道の真ん中にオヤ?と思う建造物があり、そちらに先に行ってみました。写真はこの「下馬橋」から春宮方向を撮影したものですが、鳥居から100mぐらいの場所。この道はかつて春宮の専用道路になっていて下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場だったそうです。でこの橋の手前で下馬をするという事かな。
下馬橋にあった説明書きには『この橋は春宮大通りの中央に位置する、御手洗い川にかけられた屋根付きの反橋です。昔、春宮参拝の折には、ここで下馬しなくてはならず、殿様でも駕籠や馬から下りなければならない場所であたっため、下馬橋の名がつきました。その形から俗に太鼓橋とも呼ばれます。現在でも年に二度遷座祭りの行列の内、神輿だけがこの橋を通ることができます。
梁行一・八間(三・二五メートル)、桁行五・五間(九・九五メートル)、平面積三十二・三平方メートル、棟高五・三五メートル、柱は二〇センチメートル角で、三センチメートルほど面がとってあります。
神社の記録によれば元文年間(一七三六~一七四〇)の改修と見られ、諏訪大社の中でも最も古い建築で宮大工三井伝左衛門の作と言われています。天正六年(一五七八)の造営帳にも見られ、古い様式が忠実に伝えられています。
屋根は本来檜皮葺でしたが、昭和三十五年(一九六〇)ころ銅板葺に改修され、損傷した橋の踏み板も取り替えられました。』とありました。
1736年~1740年とは8代将軍徳川吉宗の江戸時代。
昔はこの下馬橋の下を御手洗川が流れていたそうで、今は橋直下の網の下から水の流れる音がして、他は暗渠となってました。
下馬橋の観光後は鳥居へ。この御影石でできた鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、近くにある万治の石仏と同じ作者ではないかと云われてるそうです。1659年は4代将軍徳川家綱の江戸時代。
鳥居をくぐると手水舎、右手には社務所と思われる建物。
右の狛犬の裏側に授与所。お守りやお札、御朱印を私は先にお願いしました。
授与所から見た境内の様子はこんな感じ。下社秋宮より一回り小さいという感じの広さ。左は神楽殿、その奥に幣拝殿、右に結びの杉。
結びの杉、『この杉の木は先で二又に分かれているが根本で一つになっていることから「縁結びの杉」といわれる』とありました。日光二荒山神社にあった夫婦杉は根元も方で分かれてましたが、春宮のはかなり上部の方で分かれてた。こういう形の木は大体どこも縁結びの木になってますね。
神楽殿。
神楽殿の左側に筒粥殿、『下社特殊神事の一つである筒粥神事の神粥炊上げが行われる建物で毎年一月十四日夜から十五日の早朝にかけて神職がいろりを囲み一晩中葦筒を米と小豆の粥に入れて炊込み葦筒四十四本の内四十三本は作物の豊凶を残りの一本は世の中を占う 土間中央のいろりは江戸時代初期のものである』と書かれてました。
子安社(末社)御祭神は高志沼河姫命『お諏訪さまの御母神である高志沼河姫命をお祀りする昔からお産の守り神として親しまれ底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである』と書かれてました。
筒粥殿の前を通り神楽殿の裏側の方に行くと重要文化財である幣拝殿は見えました。神楽殿とそこにあった注連縄は下社秋宮より二回りくらい小さかったですが、この幣拝殿の大きさと優美さは同じような感じで感動!左側にある右片拝殿前に二之御柱もよく見えました。
右片拝殿の脇から三之御柱も確認。
片方の御宝殿も確認できました。
向かって右側にある左方拝殿。左右片拝殿は国の重要文化財指定『片拝殿とよばれるこの建物は幣拝殿と同じ安永九年(一七八〇)地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りになってる』とありました。同じような大きさに見えましたが、大きさに違いがあったんですね。1780年とは10代将軍徳川家治の江戸時代。
片拝殿の中央部分の幣拝殿。『この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので幣拝殿と呼ばれている 建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている
棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より一年早い安永九年(一七八〇)に落成した 春秋両宮は社殿構造は同じで湯治は双方で技術が競われた』と書かれてました。全く同じ図面ならここは大きさも同じみたいです。
そしてお参り。
左片拝殿前にあった一之御柱。
左片拝殿脇から見えた四之御柱。
御神木の杉の木もちょっとだけ見えました。
神楽殿を中心として時計周り(左側)に歩いて参拝して授与所に向かう時、左手方向(神楽殿からなら右側)に若宮社(摂社)と上諏訪社(末社)がありました。
若宮社はお諏訪さまの御子神十三柱をお祀りしてる『建御名方彦神別命、伊豆早雄命、妻科比売命、池生神、須奈美若彦神、片倉辺命、蓼科神、八杵命、内県神、外県神、大県神、意岐萩命、妻岐萩命』下社秋宮にもありました。
上諏訪社『御祭神 建御名方神、上の諏訪つまり上社の御祭神をお祀りしている』
以前摂社と末社の違いがわからず調べたのですが、神社本庁によると摂社はここの御祭神に関係ある神様やこの土地の地主神など縁や由緒があったりする神社で、末社はそれらに当てはまらない神社なんだそうです。
そうだとすると、上諏訪社が末社ってどうして?となってしまします。そして私の勝手な妄想が・・・室町時代には下社で一番偉い大祝の金刺氏は上社との争いに敗れ他国へ逃げたそうで、今は上社、下社とも一つの諏訪大社ですが、昔は関係ないよアッチとは。という感じだったのかな?と想像。
この摂社末社の上側にも以前何かあった跡なのか?囲いだけありました。春宮の境内は近くの小学生の通学路にもなってるようで、この石段を上がって友達とはしゃぎながら上がっていく児童を散策中結構見ました。
境内を色々散策しましたが、諏訪大社下社春宮境内図は見かけませんでしたが、上の画像の秋宮の境内図とほぼ同じ。神楽殿が境内中央にあって両脇は摂社や末社、奥は左右片拝殿と幣拝殿、それ以降向こう側には行けませんが、御宝殿二つと御神木がありました。
今回友達と二社四宮回りましたが、友達はこの春宮の境内の雰囲気が一番気に入ったらしく、ここなんか神秘的だ~と言いながら私以上に散策してました。私の場合は秋宮と雰囲気は同じような感じだったから普通に散策してましたが、友達にとっては何かを感じたパワースポットだったようです。
春宮の横には砥川が流れていてそこに浮島社、奥に万治の石仏があるという事で行ってきました
境内の左横から川の方へ行ける道発見!
川沿いに遊歩道があって、赤い橋方向へ歩きました。途中左側に蕎麦食事処「清明祥世庵(月曜日定休)」というお店を発見!春宮の駐車場~下馬橋までに通りには郵便局はありましたが、お土産店やランチなど食事できるお店は見当たらなかったですが、境内の脇を流れる砥川沿いにランチなど食事できるお店がありました。
浮島橋を渡って川の中州へ。
橋を渡ると神橋架設碑というのがあり、石碑に赤い橋が反射しててお~いかにも神橋。
キノコのような形をして諏訪大明神と書かれた石灯篭も。
中州の奥側に浮島社。『祓戸大神(はらえどのおおかみ)を祀るといわれ毎年六月晦日には例祭とともに夏越しの大祓式が行われます またこの浮島はどんな大水にも決して流されないことから七不思議のひとつに数えられています。』とありました。
水の音も心地よく、素晴らしい神社でした。昔はこの砥川の水で穢れをとってから参拝してたのでしょうかね。友達はこの自然溢れる川のせせらぎもプラスして春宮の雰囲気に感銘してました~。別ページで万治の石仏に行った
さて、諏訪大社下社春宮の所要時間は石仏と浮島社を含めて、約45分でした。ここは駐車場から幣拝殿まで近かったので観光なしのお参りだけなら10分程度ではないでしょうか?
御朱印とお守りとご利益
諏訪大社下社春宮の祭神は建御名方神(男神)と妃の八坂刀売神(女神)ですが、下社は女神を主としてるらしい。諏訪大社自体、個々の神様というより一括して「諏訪大明神」と呼んでるそうです。古来は狩猟、漁業、豊穣、そして坂上田村麻呂時代あたりから軍神として、戦勝祈願をしてご利益を得てたそうですが、現代の諏訪大明神は全ての願いに対してご利益があるからどの社でもパワースポットとなってるそうです。
勝守、無病息災守、勝栗札、心身健全守、安産守、交通安全守、御柱守、開運鈴守、学業成就守、えんぶすび守などなど。
一緒に行った友達が買った諏訪大社神器の薙鎌の特別守である薙鎌守。
開運鈴守、肌身袋守、御柱箸、勝栗札、安産杓、下社と上社で若干違う薙鎌守
諏訪大社オリジナルの御朱印帳、青と朱色は1,000円、一回り大きい黒っぽい御朱印帳は2,000円。
先に御朱印をお願いしてから参拝しました。
諏訪大社下社春宮御朱印500円
御朱印を集めると記念品もらえます→詳しく→諏訪大社4社御朱印巡りして御神供授かった
下社春宮資料
アクセス、駐車場
諏訪大社下社春宮:住所:長野県諏訪郡下諏訪町大門193 電話:0266-27-8316
諏訪大社下社春宮へのアクセスは長野自動車道岡谷インターが一番近くて高速降りて約7.2キロ車で約10分。次に中央自動車道諏訪インターが近く高速降りてから約11.1キロ車で約24分の道のり。
諏訪大社下社秋宮からは約1.4キロ車で3分頑張れば歩いても行ける距離、木落とし坂からも車で約10分ぐらい、諏訪湖間欠泉センターから約5.2キロ車で約11分と諏訪湖からも近い。
諏訪大社上社本宮から約12.4キロ車で23分、上社前宮からなら約13.5キロ車で25分。
電車の場合、中央本線下諏訪駅から約1.2キロ歩いて約15分。
私の場合、桐生市街地から高速道路を利用して諏訪大社下社春宮まで約167.9キロ、車で約161分でした。
参道にある大鳥居前に無料駐車場がありました。
ただ駐車台数は少な目でした。
コメント/口コミ