貫前神社

おでかけポコ〈そこ実際どうだったか?体験口コミレポ〉

実際に行った温泉や観光スポット!泊まったホテル旅館!食べたグルメや体験した口コミレポート中心の旅のお出かけ情報

一之宮貫前神社(御朱印)に行った


大混雑だった初詣にも以前行った事がある上野国(群馬県)の一之宮貫前神社に普通の日に御朱印を授かりに行ってきた。


群馬県人には上毛かるたの「ゆ」、ゆかりは古し貫前神社。創建は日本に仏教が伝来する前の古墳時代西暦531年3月15日。物部姓磯部氏が氏神の経律主神を蓮ヶ岳綾女谷に奉斎したのが始まりで、醍醐天皇の頃の延喜式には名神大社に列せられ、上野国の一之宮となる。

現在ある社殿は1635年徳川家光公の命によって造営され、本殿、拝殿、楼門は国の重要文化財。そしてこの社殿へは下ってお参りする参道となってる全国的に珍しい神社なんです。


貫前神社:住所:群馬県富岡市一ノ宮1535 電話:0274-62-2009
境内拝観:無料 宝物館拝観料:300円(10時~15時) 駐車料:無料



目次

境内の様子と見所

御利益

御朱印とお守り

感想と口コミと所要時間

【2023年】年中行事

アクセスと駐車場




境内の様子と見所

参道の大鳥居

上州一之宮駅方面からだと、石段をまず上って大鳥居へ。

大鳥居前の駐車場の様子

大鳥居から眼下を見れると最高の見晴らしで貫前神社が小高い山中にあるのがわかりました。

総門と唐銅製燈篭

大鳥居から平坦な参道を50mぐらい奥に進むと総門がありました。総門の両脇にある唐銅製燈篭は富岡市指定重要文化財で大政奉還のあった1867年にここに建てられたもの。境内に入る門はこの総門だけでなく左側に西門、右側に勅使門(不明門あかずのもん)がありました。

下ってお参りする珍しい神社

総門をくぐると石段を下ってお参りしに行くという形が全国的にも珍しい神社。

月読神社

本殿に向かう石段を下る途中左側に末社の月読神社、現在の社殿は1635年以前の旧御本社本殿を牛王堂として使用し、明治維新以後、月夜見命をお祀りして月読神社と改称。1908年、近在の氏神である社久司神社(秋畑琵琶澤)雷電神社(秋畑二ツ石)湯前神社(秋畑裏根)近戸神社(富岡市野上)の各社を合祀し、月夜見命田十七柱の神々をお祀りしてる。

斎館

石段途中右側に「斎館」

社務所

石段を下り終わって右側に社務所

東西回廊と楼門

石段を下まで下ると左手に手水舎、そして正面が国の重要文化財である楼門で左右に同時代の建築である西回廊と東回廊。

重要文化財の拝殿と本殿

楼門をくぐる立派な拝殿と奥に本殿。どちらも国の重要文化財。パっと見は東照宮のようないかにも江戸時代の建築物という色合いと風格。この社殿は1635年徳川家光公の命による造営で1698年には徳川綱吉公の命により大修理をした社殿。江戸初期の極彩色総漆塗の精巧華麗な造りであるだけでなく、本殿の構造が単層二階建ての俗に「貫前造」という独特な社殿形式。

雷電小窓

雷電小窓」と称す小窓(本殿の黒く囲ってある部分)

拝殿前

一之宮貫前神社の御祭神は二柱で「経津主神(ふつむしのかみ)」と「姫大神(ひめおおかみ)」。

経津主神は物部氏の氏神で天照大御神の命を受け武甕槌神と共に出雲国大国主神より天孫のために国土を奉らしめた神で古来より武の神、建国の祖神として信仰されてる。

姫大神は御名は不詳で、おそらく綾女庄(一ノ宮地方の呼称)の神で養蚕機織りの守護神と考えられてる。

拝殿の装飾や彫刻

細かい彫刻もあり、見応えある社殿でした。

抜鉾若御子神社

拝殿本殿の左側に摂社である「抜鉾若御子神社」、安閑天皇の御代(西暦532年~535年)に現れたと伝え上野国神明帳に従五位抜鉾若御子明神と記載されている。1905年(明治38年)に一ノ宮若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は棟札による文化12年(1815年、11代将軍徳川家斉の時代)の建立と伝えられてるそうです。

ちなみに拝殿や本殿のある楼門から中は神域の為犬などベットの立ち入り禁止になってました。

神楽殿と休憩所

拝殿本殿の右側は神楽殿、奥に屋内休憩所。

藤太杉

本殿の後側に行くと樹齢千二百年と伝えられる藤太杉、天慶二年(939年)下野國唐澤山「現在の栃木県佐野市、唐沢山神社(唐沢山城跡)」城主藤原の秀郷が、平将門討伐の際にここの参拝し歳の数三十六本の杉苗を奉納した内の一本と伝えられてるそうです。

経蔵址

本殿の裏側をぐるり一周するような遊歩道を歩くと抜鉾若御子神社側に何か神々しい感じがした場所があり、明治維新の廃仏毀釈により破却された「経蔵址」がありました。鎌倉以来の諸経や普賢菩薩、両童子像等が安置されてたらしい。なお森の方にはよく三重塔跡もあるんだそうです。

石垣

拝殿本殿をぐるり一周する形で楼門前に戻る時に石垣。

勅使門、勅額鳥居と宝物館

石段上の総門も右側には勅使門(不明門あかずのもん)と勅額鳥居があり奥の建物が宝物館。

勅使門は朱雀天皇の御代(930年~946年)奉幣の為勅使参向の際に設けられた門で勅使参向の時にしか開かない事から(不明門あかずのもん)とも云われる。現在は春と冬の御戸開祭と流鏑馬祭の年三回開門されるそうです。

勅額鳥居は清和天皇の御宸筆による額が掲げられていたことから、この名前が付いたと伝えられ、元々は一ノ宮大字田島字鳥居にあったものを寛永十二年(1635年)に移築したもの。

有栖川宮幟仁親王の御染筆の神号額

現在の額は明治六年(1873年)に有栖川宮幟仁親王の御染筆の神号額。

宝物館

宝物館、この日は開館してなかったのですが、普段は10時~15時までで拝観料は300円。

外宮と内宮、日枝神社と二十二末社

総門の左側に位置する西門の先には末社の境内。一番右側が外宮、その隣が内宮という伊勢神宮。その隣が日枝神社。左側の長い建物が二十二末社(扣神社、熱田神社、水分神社、熊野神社、白山比呼神社、八坂神社、伊那那枝神社、長田神社、少彦名神社、高龍神社、浅間神社、咲前神社、事解男神社、八幡宮、諏訪神社、奇ハ玉神社、春日神社、粟島神社、速玉神社、沓脱神社、菅原神社、?神社)

日枝神社

日枝神社に近づいて屋根の方をまじまじ見ると日光東照宮でお馴染みの三猿の彫刻を見る事ができます。

貫前神社のスジダイと銀杏の木

西門の右側には富岡市天然記念物に指定されてる樹齢約千年と云われてる「貫前神社のスジダイ」という巨木。左は写真を撮った季節柄葉っぱがありませんが銀杏。

貫前神社境内前にあった公園

西門から境内の外に出ると目の前に遊具もある公園。以上が貫前神社の境内の様子と大体の見どころ。



御利益

御神徳や御利益が掲示されてるものは見かけなかったですが、一ノ宮、そして多くの摂社、末社もある事から多種の御利益があるパワースポット神社であると推測されます。

御祈祷

御祈祷は初宮詣一万円、交通安全(車のお祓い)一万円、諸祈祷(家内安全、商売繁昌、厄除開運、方位除、厄年後祓、合格祈願、学業成就、身体健固、病気平癒、安産祈願、心願成就、その他)五千円よりとなってました。


御朱印とお守り

貫前神社お守り

矢守、和紙守、房守、かえる守り、金小槌、木札守、錦守、四葉守、幸せ夢叶守、終身守、きんちゃく守、小判守、合格守、学童守、えんむすび、開運鈴根守まどなどがありました。

無事かえるお守り

珍しいな~と思ったお守りが「無事かえるお守り」この楼門に置いてあるカエルの像は役目を終えた「無事かえる」を納めたものだそうです。この無事かえるは社務所で一体1500円で授与。

無事かえる縁起~戦争中の昭和十八年頃、総門東に立っているタブの木にカエルに良く似た形のサルノコシカケがあらわれました。貫前神社の御祭神「経津主神」がたいへん武勇に優れていたことから「勝てかえる」「勝ちがえる」として戦地に赴く兵隊さんや、送り出すご家族の参拝がとても多かったのです。戦後、高度経済成長につれ交通事故は悪化し、交通事故の増加は深刻な社会問題に発展しました。昭和四十一年四月に誕生した「無事かえる」は一之宮貫前神社所蔵の重要文化財「白銅月宮艦」に彫られている「カエル」と戦時中のカエルの形をしたサルノコシカケにちなんでつくられました。「無事かえる」は「無事に帰る」「無事に帰ってきてほしい」という願いがこめられている御守り。自動車の車内や家庭の神棚にあげて交通安全につとめるんだそうです。

貫前神社御朱印帳

貫前神社御朱印帳は1,500円、大判の全国一の宮御朱印帳は4,500円。

一之宮貫前神社御朱印

一之宮貫前神社御朱印500円、この日、御朱印をお願いしてから参拝や散策してから授かったので書き上がるのを待ってたと待ち時間はゼロ。参拝散策終わって社務所に戻ると出来てました。



感想と口コミと所要時間

結婚して妻と初めて初詣に行った神社が一之宮貫前神社。道路は大渋滞、参道は大行列、そして参道脇には多数の露店が並んでいた光景を思い出します。あれから、ん十年後に再び御朱印を授かりに行ったのですが、森を含めれば二万六千坪もあるとの事だけど、見て回った範囲の境内はそんなに広さを感じる事もなく、総門脇の路肩駐車場に停めたので石段の社殿に向かう一か所だけだったので所要時間は30分ほどで疲れなかった。社殿は一之宮の風格通り立派で見応えもあり人が少ない普通の日に行ってよかったです。初詣とかの日は・・・じっくり見て回れなかったから。また行ってみてわかったのは、12年毎に式年遷宮(申年十二月十二日、酉年三月十三日)する神社だったんですね。

さて、神様というと上、天界をイメージするから上に向かって参道を歩くが一般的ですが、下ってお参りは私の行動範囲内の神社では貫前神社のみでやはり珍しいですね。こういう変わった構造や御祭神などから二宮赤城神社が由緒に一之宮を譲ったという由緒もなんか頷けて、だからこの地周辺に養蚕業が発展し、富岡製糸場になどに繋がったんでしょうね。

桜のトンネル

一之宮だから桜と社殿も求めて行ったのですが、桜の木自体は総門から中はなく、総門の両脇と駅方向の参道側にあるぐらいでした。

参道から見た絶景

駅方向にある大鳥居や公園からは絶景も楽しめて良い神社でした。なお境内の前とかの歩いてすぐの範囲にランチができるような食堂は見かけなかったです。


【2023年】年中行事など

1月1日歳旦祭 3日元始祭、水的神事 7日生弓矢生太刀神事(鬼退治)*初詣は大体毎年10万人ぐらいの参拝者数だから混雑や参拝行列、渋滞の覚悟必要 15日筒粥神事 
2月17日農耕始祭
3月14日春季御戸開祭 15日例大祭
6月30日大祓式
11月23日新穀感謝祭
12月1日御神酒譲り神事 8日川瀬神事、鹿占神事 11日御機織神事 12日冬季御戸開祭 31日大祓式、除夜祭
など年間七十一度の神事があるとの事。

アクセスと駐車場



貫前神社へのアクセスは上信越自動車道富岡インターから約4.9キロ車で約10分。

富岡製糸場から下道で約4.4キロ車で約8分、磯部温泉から約97.4キロ車で約12分、妙義神社から約11.3キロ約16分、碓氷峠鉄道文化むらから約17.8キロ車で約25分、こんにゃくパークから約7.6キロ車で約14分と周辺観光地からも近い。

電車の場合、上信電鉄上州一ノ宮駅から約818m歩いて約10分と駅からも近い。

境内前の駐車場の様子

総門の左右に路肩駐車スペースがあり、ここからなら社殿はすぐ。

大鳥居前の駐車場の様子

上信電鉄上州一ノ宮駅方面から大鳥居前の石段手前に駐車場もありましたが、ここからは石段を上って参拝となります。


 

タグ :   

群馬県 富岡市/下仁田町/妙義山   コメント:0

口コミを見る/書く

コメント/口コミ

名前

 

メールアドレス

 

URL

 

 

コメント/口コミ投稿覧


TOPへ戻る
 プライバシーポリシー お問い合わせ