長篠の戦いでの織田信長本陣跡を見に行ったよ
長篠の戦いでの織田信長本陣跡を見に行ったよ
徳川と武田の戦だけど援軍で来た織田信長の鉄砲の威力、破壊力で武田軍がメタメタにされてしまった結果、織田が有名になってしまった長篠の戦いでの織田信長がいたとされる陣跡が長篠設楽原PA(パーキングエリア)下りに隣接されてます。だからパーキングエリアの駐車場から歩いて行けるという素晴らしいアクセスで気軽に立ち寄る事ができました。
長篠設楽原PA(パーキングエリア)下り自体が戦国をイメージした建物って感じです。
その横に長篠の戦いでの織田信長本陣跡があるワケです。駐車場から階段を昇って上に行かないと行けませんが、下から見上げるだけもできます。
拝観料
無料でした。受付もありませんでした。
長篠の戦いでの織田信長本陣跡の見所や様子、感想など
上に行く階段の前に長篠・設楽原合戦の説明案内がありました。「天正3年(1575年)旧暦5月長篠城を取り囲んでいた武田勝頼軍は包囲を解き茶臼山付近付近に布陣する織田・徳川連合軍に連吾川を挟み対峙します。21日早朝、織田・徳川連合軍3万8千人に対し武田軍1万五千人は雨もよいの中進軍を試みますが、三段に設けられた馬防柵、土塁、火縄銃に行く手を遮られ、一部が馬防柵を突破するも時間と共に信玄依頼の武将の相次ぐ討ち死に等損害を積み重ね遂には撤退を余儀なくされました。武田軍は1万2千を失い撤退する中で、追撃する織田・徳川連合軍も5千を失う激しい戦いでありました」と。この説明案内の前は女性の声の録音でも長篠・設楽原の合戦も説明してくれます。
今いる長篠設楽原PA(パーキングエリア)下りの横にある茶臼山から羽柴秀吉や佐久間信盛、丹波長秀や徳川家康、その家臣たちを見下して合戦の様子を眺めていたんですね。
馬防柵とはどんなものかも展示されてました。写真じゃわからないと思うんですが馬を止める為だけあってデカイんです。こんなに大きいとは思わなかったです。
階段を上がって信長の陣を目指しました。
結構上のほうまで歩くのですが、距離的にはそんなに長くはなかったです。新しくできた階段だったから上りやすかったです。
茶臼山頂上~織田信長の本陣跡到着。
上まで行くと何があるの?と聞かれるとこういう開けた場所と
茶臼山のお稲荷さんの神社と
信長の陣茶臼山に歌碑もあり
よ~くわからない、何か昔っぽいものがあるだけでした。
しか~し。今は木々に覆われて長篠城方面は見えなかったですが、多分ここで信長勢は木々を切り、見晴らしをよくして自分たちの配下の家臣たちの合戦の様子を眺めていたんだろううなぁ~という戦国時代ファンにしかわからないロマンに私は浸る事ができました。普通の人が来たらココつまんな~いとなりそうですが・・・・戦国時代ファンには聖地ですな。ココ。
ココ以外にもパーキングエリアの食堂横に長篠設楽原合戦の間という長篠の戦いの資料や鉄砲が飾ってあるコーナーがあります。
>長篠設楽原PA(パーキングエリア)下りで家康鯛天丼と信長赤味噌ラーメンを食べた。で詳しく。
長篠の戦いでの織田信長本陣跡 DATA
住所:愛知県新城市富永住居田(長篠設楽原PA(パーキングエリア)下り)
駐車場:無料~小型車65台、大型車61台
拝観料:無料
拝観時間:山の為昼間
定休日:なし、年中無休
コメント/口コミ