鳥頭神社(神代杉)

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鳥頭神社(神代杉)に行った


鳥頭神社(神代杉)に行った


鳥頭神社(とっとうじんじゃ)は群馬県東吾妻町に2ヶ所あるが、今回は国道145号沿いの「矢倉鳥頭神社」とも呼ばれてる神社に立ち寄った。ここは草津や万座方面と行き来する時に「神代杉」よいう案内標識でいつも気になっていた所であり、そこに神社もあったという感じの場所である。


鳥頭神社(神代杉)


住所:群馬県吾妻郡東吾妻町大字矢倉899
駐車場:あり
祭神:大穴牟遅神(大国主命)他四柱

沿革:創建年月不評伝承によると吾妻七社の一つで建久年中(一一九〇)の建立と伝えられている。古来武将郷民の信仰が厚く元享年間(一三二一)岩櫃城主吾妻太郎行盛が社殿を改修したという。
延文三年(一三五八)頃京都安居院で編集された『神道集』によると父が加若和利 母が子持御前の御子愛東宮を祭った神と記されている。
叔父藤原成次は元、上野国目代(次官)で、この地に住居し中性は吾妻、西条郷岩下村と称した。
戦国末期は岩櫃城主斉藤氏の庇護を受け永禄六年(一五六三)十月斉藤氏滅亡後、同九年海野幸光同輝幸は武田信玄の吾妻領の郡代となり、天正六年(一五七八)海野長門守幸光は武田勝頼に忠誠を顕すため鰐口を奉納したが享保八年(一七二三)盗難により現存しなしい。天正十年(一五八二)正月真田昌幸より八貫七百文の寄進を受け社殿を修復、同十八年八月真田信幸沼田入部に際し三貫五百文の寄進を受けた。沼田真氏改易の後貞享三年(一六八七)検地には境内一反五畝余、森一反とあり元禄七年(一六九四)十一月京都ト部兼連より正一位鳥頭大明神の宣旨を賜った。宝歴十一年(一七六一)本社建替着工。明和元年(一七六四)九月に完成した。なお、宝暦十三年まで正一位鳥頭大明神と称した。
明治十年七月相殿二座を合祀、同年四十年八月境内末社等を合祀した。(境内にあった由緒記より)

偶然立ち寄った神社ですが、真田家も大事にしていた神社で真田ゆかりの地でもあるんですね。




目次

神代杉とは

境内様子(見どころ)と感想や口コミ

アクセスや駐車場




神代杉とは

鳥頭神社と神代杉

鳥居の前にあったのが神代杉

大きな神代杉の中にまた小さい杉の木

大きな杉の幹の中にまた杉の木がある???

近くに由緒記があったので読んでみる『そもそも神代杉(一名親子杉とも言う)は その昔日本武尊御東征のみぎりお手植されたと言い伝えられ 以来幾千歳うつ蒼たる神域を近隣に誇りしが 寛保二年(一七四二年)草津への旅人一夜をこの大杉の虚にて暖を焚き その失火により神代杉は半枯の状態になりしとか その後天明三年(一七八三年)浅間山噴火により熱泥流は 再びこの神代杉を厄火に包みたり

ときに龍徳寺住職円心和尚は その焼失の危機を憂慮し神代杉を後世に残さんと余燼のくすぶる中 己が危険を冒し十米の高所より切倒してその祈念を果たし 今の世に往時の面影を残存したると言う

この神代杉は現在周囲九、七五米余あるが 当村の氏子たちが代々に亘り修復を重ねて 今にその姿を伝えるものなり

また 虚内にある杉は約二〇〇年前何度か植裁に挑みたるがいずれも枯死したため氏子たち笹原台地の黒土を馬にて運び混土し 杉苗を長尺ものを切株より大空に突出して植えるなど 幾多先人の辛苦により漸くその目的を達し活着したものと言われしが それより一名親子杉とも呼ばれこの神代杉の名声を天下に広め 今尚誇りを保ち尊ばれるものである』

写真ではわかりにくいですが、神代杉の幹はものすごく大きかった~!このような杉の形になったのは和尚さんや氏子さんたち後世に残す為に一所懸命頑張ったんですね~!ありがとう。ここに立ち寄って親子杉=神代杉という事もわかったし、遠くにある浅間山の大噴火がここまで被害を出してたのも驚いた。

なお、私は見たこの神代杉は国道拡張工事で場所が移動した神代杉のようです。移動前の枯幹の中の杉の年輪は二百十六本あったそうです。



境内の様子(見どころ)と感想や口コミ

鳥頭神社鳥居

いざ!境内へ

御神水

御神水

力石置き場

力石なるもの発見『力石とは労働を人力に頼らざるを得なかった時代に発生され、力くらべや、体力を養うを目的にした担ぎ石を指す。

すべての作業に若者の人々は強い力を重んじて軽軽と運ぶのは誇りであった。岩島地域の力石は丸石で二石組で保存されている。

ちなみに「力石」の大玉が九十八キロ小玉が四十七キロである。

力石奉納競技で大玉を担ぎえる若は名誉と称讃を得たると知らされる。岩島地区は他に六ケ所の力石の所在が確認され、形や同数で在るのは岩島地区は麻の栽培で共通点があり庶民の力比べの文化遺産でもある。

「力石」は若者が他の地域との交流を有した証であろうし、有形文化財であろう。

力石の文献は無くても、素朴な自然であっても、若者が体力を養い親しんだ「力石」は先人と信仰の千史をたずね後世に伝承すべく保存するものである。』と近くに説明書きがあった。

力石

大小二つの石があった・・うぅ・・・試しに!大きい方がぴくりとも動かず・・・小さい方は横方向には動かせるが、持ち上げようとすると過去ギックリ腰になった心が辞めたほうがいいよ。というので断念。1人で来たからここで動けかなくなっては困るし・・・・・基本的に私は非力なんです。

拝殿

拝殿

鬼瓦

鬼瓦

本殿

本殿

鳥頭神社社殿

社殿全体

神楽殿

神楽殿

神武天皇遥拝所

神武天皇遥拝所、「注意クマ出没地」の看板を見た途端ちょっと怖くなった・・・・・鳥頭神社は国道沿いの民家の間に挟まれた所にあるのですが、上の写真を見ての通り、山麓の木々に囲まれた所で1人でいる私には寂しく感じる場所であった

末社

すぐ上の方に末社らしきものが見えるが・・・近づくのはよそうっと。

鳥頭神社社務所

社務所発見!御朱印授かるかな?と呼んでみましたが無人でした。

鳥頭神社参道

熊注意看板さえ見なければもっと落ち着いて三散できましたが帰路へ。大自然を感じる素敵で静かな神社でした。熊だけは・・・・・



アクセスや駐車場



矢倉鳥頭神社(神代杉)へのへのアクセスは関越自動車道渋川伊香保インターから草津温泉方面に向かい約28.5キロ車で約41分

鳥頭神社駐車場

国道から曲がって社務所社殿の方に車が停められるようになってました


 

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