石造不動明王立像・護摩壇・祠(日光市指定文化財)に行った
石造不動明王立像・護摩壇・祠(日光市指定文化財)に行った
正確には行ったというより偶然見つけたというべきですが・・・日光の世界遺産地区を歩いてると何気ないものがたくさんありますが、その中の一つです。石造不動明王立像・護摩壇・祠があった場所は日光金谷ホテルの敷地内かな?別館と第二駐車場に挟まれた少し高台になってる部分になります。
いくつかの石像と膝上くらいの高さしかない鳥居があった小さな空間なんです。
石垣で囲まれた空間には首なしの像があったりと異質な感じがする場所でした。ここは何だ?と辺りをキョロキョロ。
説明書き発見!日光市指定文化財、有形文化財(建造物)になってる石造不動明王立像・護摩壇・祠という場所でした。そこには『日光には近世期の日光修験の遺跡として石造採燈護摩壇が三基現存する。本来、採燈護摩は必要に応じて結界・作壇して修法するもので、修験関係寺院で、近世期の常設壇が存在するのは全国的にも例がない』何気なく見つけた場所ですが、全国的にも珍しい場所で、ここで火をつけ護摩による祈祷をしてた場所という解釈でいいのかな?
『本尊不動明王を正面に安置し、手前に長方形の二重の石枠を設けて中央に円形の炉を置く。手前内枠の正面に鳥居を設けて四角に結界柱を建てる』説明書きの途中だが一旦整理してみる。
ご本尊の不動明王。
鳥居と結界と四角の結界柱でこの中央で火がついて護摩してたという事かな。
説明書きの続き『本尊の不動明王立像は鷹さ約一・九メートルで、「明暦三年丁酉二月吉日」の年紀がある。』明暦3年とは1,657年四代将軍徳川家綱の時代で有名な明暦の大火があった年。
『結界は縦約三メートル、横約一・六メートルあり、鳥居には「金剛山奉寄進茂呂村宝増寺秀全 元禄十七甲申稔三月日(一七〇四)と刻まれている。』1704年とは宝永元年でもあり五代将軍徳川綱吉の時代。
『石柵内には高さ約二メートルの宝形造りの石祠があり、銅扉に「星之宿 金剛童子尊像」の銘文があるが、現在は虚空蔵菩薩の石坐像が安置されている。これは冬峰修行の最後の行場「星宿」の遺跡であり、古峰ヶ原から入峰した行者たちが納めの護摩修行を行った所である』なるほど。古峰ヶ原ってどこ?と調べたら鹿沼市に日光開山をした勝道上人が修行した場所に古峰ヶ原高原というのがあったから、その辺みたい。
小さな祠の中に小さな仏様が安置されてたからこれが虚空蔵菩薩の石坐像ですね。お参り。
不動明王はちょっと傾いてるから、少し疲れ気味というか、お年をめしているというか・・そんな人間味ある表情なんですよね。
首がなくなったままの石像もあれば、首が接着されてる石像があったりと・・・・
小さな場所でしたが、ここで大勢の行者さんたちが、火を焚き修行していた様を想像して、歴史ロマンを感じてしまいました。
コメント/口コミ