神明宮

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大間々神明宮に行った(御朱印あり)


大間々駅前の国道122号線を通る度に神明宮への道案内版があって気になっていた地元では有名な神社である大間々神明宮に御朱印帳の御朱印も欲しかったので行ってきました。




目次

大間々神明宮とは

境内の様子、感想、口コミ

受付場所と御朱印

【2023年】年中行事など

アクセス、駐車場、住所

神明宮周辺で御朱印巡り




大間々神明宮とは

神明宮の由緒

神明宮は渡良瀬川が足尾山地より流れ出て平野となる大間々扇状地の高津戸峡を眺望する所に位置する。境内地からは多くの縄文式土器や弥生式土器、踏鞴の鉱滓(たたらのこうさい)が出土し、周囲の土地は古代からの谷地を利用した田畑があり、伊勢神宮の御厨(みくりや)か大蔵保(おおくらぼ)と思われる。

難解な言葉があったので調べてみました。踏鞴とは製鉄のさいに火力を強めるために使う鞴(ふいご)だそうで、鉱滓とは、金属を精錬するとき、とけた鉱石の上層に浮かぶ非金属性のかすの事だそうで、私的には人工的に鉄製品を作った跡の物が出土したと解釈しました。御厨とは「御」(神)+「厨」(台所)の意で、神饌を調進する場所のことだそうで神饌を用意するための屋舎を意味するそうです。勝手気ままに上の難しい文面を解釈すると、古代から人々が住んでる地でこの地に伊勢神宮の御厨か大蔵保という屋舎があり信仰されてたという事でしょうか?

南北朝時代の貞和三年(1347年)境内地の伊勢ケ淵岩頭に天照皇大神の 神社を文袋坊により、黒川郷(渡良瀬川流域の里)一の社としてまつられる。
慶長二年(1597年)大間々町の鎮守様として現在のところに仮宮をたて、 慶長四年(1599年)中興遷座をする。以来、明治十二年(1879年)に至るまで二十一年目毎に社殿を建て替え、又は、修復工事をなし式年遷宮を行っていた。


ここは意味がわかるのですが、時代的な部分を付け加えると1347年は足利尊氏が将軍の室町幕府、南北朝時代で、2年後には観応の擾乱が勃発し尊氏、直義、師直の対立が始める。1597年は豊臣秀吉二度目の慶朝鮮出兵長の役の年で翌年秀吉没、そして1,600年は関ケ原の戦い。神明宮も伊勢神宮と同じように式年遷宮してたんですね。

この間、正徳五年(1715年)外宮豊受大神の分霊を合祀し、天保七年(1836年)酒井石見守(二万五千石)は上州領分五千石の祈願所となし勢多郡下の勧化をゆるされる。

1715年は七代将軍徳川家継ですが、翌年は八代将軍徳川吉宗に変わりました。1836年は11代将軍徳川家斉で、翌年は十二代将軍徳川家慶に変わりました。

明治五年十一月(1872年)、一町十八ケ村の惣鎮守として郷社に列する。明治二十年(1887年)大間々町の大火により社殿を消失し、氏子達は焦土のなか再建するが、同二十三年(1890年)再び火災に遭い、氏子の経済的負担が大きいため社殿を縮小し建立する。その後、郷社神明宮にふさわしい社殿の建て替え 計画は昭和の大恐慌や、終戦の混乱と物価の高騰により建築を断念する。鎮座六百五十年、中興遷座四百年の記念事業として、 多くの氏子崇敬者に神社建設資金の御寄進を賜り、平成十二年(2000年)五月二十日、国内産桧を用い御社殿の完成をみる。  尚、向拝に掲げてある御神号「皇大神宮」は、十三代将軍徳川家定の御台所である篤姫の養父従一位近衛忠煕が揮毫したものである。  境内末社には大間々町の絹市の神である、八坂神社がまつられている。五穀豊穣、産業発展、疫病予防を願う大間々祇園祭りは、毎年八月一、二、三日に行われ、沼田、世良田とともに上州三大祇園祭りといわれている。

神明宮祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の「おおひるめのみこと」と「豊受毘売神(とようけひめのがみ)です。

天照皇大神は伊勢神宮の祭神、太陽神、天皇の祖神、国に平和と豊かさを与える神であり、一般的にご利益は、国土安泰、開運、勝運、福徳とされてます。豊受毘売神はおそらく豊受大神だと思いますが、そうだとすると天照皇大神への食べ物調達の神様である事から五穀豊穣のご利益と考えられます。



境内の様子、感想と口コミ

神明宮正面の参道の様子

参拝者駐車場にはあえて停めず、ながめ公園北駐車場に車を停めて参道を歩いて行きましたが、工事は仕方ないですが景観的にはポールが神聖な雰囲気を・・・・

鳥居と社殿

鳥居の前に来ると社が大きく迫力あってなかなかのものでした。

手水舎

手水舎で清めてまずはお参り。

神明造りの拝殿

久しぶりに赤くない神社で造りが立派で感動。

横から見た拝殿と本殿

横から見ても拝殿と本殿は素晴らしい造り。

社

本殿、拝殿横に何だろう?的な社がありました。近づいたら猫が出てきて・・・昼寝してたみたい。

境内にいた猫

ごめんね~起こしちゃって。

丸い岩

また何だろう?丸い岩で上は水かな?貯まるように彫られてました。

神楽殿

境内の中を散策、何だろう?神楽殿かな?

神楽殿の龍の彫刻

古そうな感じで龍の彫刻がありました。

小さな神社

神楽殿らしき所からすぐ近くにちっちゃい狛犬もあるカワイイって感じのサイズの神社もありました。何だろう?境内図がなかったから何だろう?が多い神社でした。

お稲荷様

境内をはねたき橋方面に向かうとすぐお稲荷様がありました。ここのご利益は家内安全、商売繁盛、家紋の守護神でした。

八坂神社

その隣は天王様と云われる八坂神社でご利益は身体健全、交通安全、家内安全、疫病退散の神でした。

高津戸峡側の参道

はねたき橋まで200mぐらいだったからこちらの境内を散策してきましたが、高津戸峡を流れる渡良瀬川の音や鳥の声、そして今日は暑い日でしたが木々で日光も隠れて心地よい風も吹いててなかなか神聖な感じの場所でした。

石碑

帰り際にながめ公園北駐車場近くに古そうな碑も発見!何だろう?う~ん何だろうも多い神社で考えるのも結構楽しかったかな。


受付場所と御朱印

拝殿横の社務所らしき所

土曜日に行った時拝殿横の社務所らしき所は閉まってました。

民家風の建物だった社務所

参拝者駐車場側の方にあった民家風の建物に行ってきました。

社務所入口に貼ってあったお知らせ

こちらの民家風の建物が社務所になっていて御朱印受付はこっちでした。御朱印は紙の対応に時もあるようで、呼び鈴見当たらず中に入って「すいませ~ん。御朱印帳に御朱印お願いできますでしょうか?」と聞いたら神職の方が出てきて「できます」との事でお願いしました。

お守りやお札

中にあったお守りやお札を見ながらしばし待つと御朱印が出来上がりました。

大間々神明宮の御朱印

300円をお渡ししました。お!すごく綺麗な字!大間々神明宮御朱印ありがとうございました。


【20201年】年中行事など

1月1日~初詣

4月10日(4月第2日曜日)例祭

8月1日~3日大間々祇園まつり(町内メインストリート)*神明社境内にある八坂神社

10月15日例祭



アクセス、駐車場、住所



大間々神明宮:群馬県みどり市大間々町大間々2245 電話:0277-72-2267

アクセス:北関東自動車道太田藪塚インターから約10キロ、車で約23分ぐらい。

渡良瀬渓谷鉄道大間々駅から歩いて500mぐらいと駅に近い立地です。

車も通れる参道

鳥居前の参道を走って進むと。

参拝者駐車場への案内版

鳥居の前に参拝者駐車場がありました。

ながめ公園北駐車場

境内の横にも広いながめ公園北駐車場もあり、ここに停めても神明宮は目の前でした。

新明宮周辺で御朱印巡り

神明宮周辺にも有名な寺社があるので、高津戸峡散策後の帰りに立ち寄ってみるのもいいかも?

松源寺~季節が合えば紫陽花としだれ桜が有名なお寺です。(神明宮から約3.3キロ車で約10分)→大間々のあじさい寺松源寺に行った

大間々貴船神社~初詣参拝客数約20万人と群馬県内で有名な神社(神明宮から約5.5キロ車で約12分)→大間々貴船神社に行った

高津戸峡の赤い高津戸橋を渡って桐生市側に入ってすぐの所に御朱印スポットあり。

宝徳寺~市外からもアート御朱印を求めて行列のできる枯山水の庭園まである人気の寺(神明宮から約6,5キロ車で約13分)→宝徳寺に行った

崇禅寺~アート御朱印が人気の寺で江戸時代と思われる山門と鐘楼もある(神明宮から約5.4キロ車で約12分)→崇禅寺に行った


 

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群馬県 みどり市   コメント:0

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