穴原薬師堂に行ってきた
みどり市指定重要文化財に指定されてる穴原薬師堂(または穴原の薬師堂)に行ってきました。
ここにあるのは古いお堂と楼門ですが、みどり市内にある唯一の楼門建築なんだそうです。個人的には時代を感じさせてくれる寺社仏閣が好きなので、実際行ってみたら歴史を感じさせてくれる佇まいで感動しました。
目次
・穴原薬師堂とは
・境内の様子と感想や口コミ
・アクセスや駐車場
・周辺観光
穴原薬師堂とは
楼門脇に説明パネルが掲示されてました。
『本尊の医王尊は寛政六年(1794)僧栄夫が彫刻したもので奉修札に「奉修医王尊、上州新田郡下浜田村密乗沙門栄夫謹書、寛政六甲寅載霜月魔訶吉祥日」とある。』
*1794年は11代将軍徳川家斉が治めていた江戸時代。
『また棟札には「奉造立薬師堂祈願成就所、享保十五庚戌歳九月吉祥日、当村中施主甚之丞、伝門、当菴主宗心願主敬白、上州山田郡穴原村棟梁金平、野州佐野七右衛門」ち書いてある。すなわち享保十五年(1730)に当村の大工金平と佐野の大工七右衛門によって本堂や仁王門が建てられた。」
*1730年は8代将軍徳川吉宗が治めていた江戸時代。
「施主の一人の伝門とは当村に隠居した鹿角村の伝右衛門(新井)のことであろう。仁王、十六羅漢、日光、月光、十二神将などの仏像や元禄四年(1691)の庚申塔以下元治元年(1864)の甲子大黒天まで石仏三十二基がある。文化文政頃は源兵(小池)の梁があった。」
この説明最後の方がかけ足でしたね~、多くの仏像がどこ納められてるのか?だったし。源兵(小池)の梁って素人の私にはさっぱりわからん・・・ググッてもヒットしないし・・・困ったもんだ。
境内の様子と感想や口コミ
これが重要文化財の楼門、両脇に仁王像があるから仁王門?時代感じさせてくれる間口6.41m、奥行3.97mもある巨大な門でこういうのがみどり市にあったんだ~と感動。
この穴原の薬師堂は拝観料とか無料というか、寺務所らしいものもなく自然中にポツンと残されてるという感じでした。
門の両脇に大きな石灯篭もありましたが、右側はよく見る形でしたが左側は仏像が彫られてました。
左右仁王像はガラスで保護されてました。
彫刻も随所にあり門の朱色も色褪せて時代を感じさせてましたから、完成時は日光東照宮のように彫刻にも色がついてたのかな??
裏に回ると階段がありました。2階に上がれるの?と奥を見てみたら鍵で閉ざされてました。なお最後の方が難解な説明パネルでしたが、自分なりに調べてみると、2階に十六羅漢象が安置されてるらしい。
楼門をくぐって左側は盗難防止で守られた網の中にこれまた古そうな仏像が。
結構いいお顔をしてたけど網の目が凄く細かくて見ずらい。でも盗難にあったら大変ですからね。というか?この境内は常にお坊さんがいるような感じではなかったし、というか楼門と薬師堂しかないから町の人が管理してるのかなぁ?
説明パネルはどこのあるのか書いてませんでしたが「元禄四年(1691)の庚申塔以下元治元年(1864)の甲子大黒天まで石仏三十二基」がこの辺りにありました。
重要文化財である薬師堂でお参りと。
屋根にポツンと突き出してる部分が「宝珠と露盤を1つの石から彫り出した棟飾り」なんだそうです。
これまた時代を感じさせてくれるお堂でした。
このお堂の中に薬師如来を中心に左右に日光・月光菩薩、後ろに12神将が安置されてるそうです。公開する日とかあるのかな?
白色や青色が見てるので江戸時代は煌びやかだったんでしょうね。
そんなに広くなかった境内でしたが、すばらしい歴史建造物だったし、静かな自然の豊富な地で居心地もよかったです。
駐車場のすぐ近くに東屋だけがありましたが、ジュースの自販機や寺務所自体もなかったので御朱印も無理っぽかったです。
アクセス、駐車場
穴原薬師堂:住所:群馬県みどり市大間々町塩原633
穴原薬師堂へのアクセスは北関東自動車道太田藪塚インターから約13.6キロで車で約30分の道のり。
私の場合、桐生市街地から車で約22分でした。
バイクで行ったけど道もギリギリ走れるくらい狭かったですが、楼門の方に向かいました。
楼門の脇にあった無料駐車場はソコソコ広かったです。
周辺観光
大間々貴船神社:穴原薬師堂から約1キロ車で約2分。歩いても行ける~
松源寺(大間々のあじさい寺):穴原薬師堂から約2.5キロ車で約3分。
小平鍾乳洞&小平の里遊湯館(薪風呂日帰り入浴施設):穴原薬師堂から約5.1キロ車で約9分。
高津戸峡&大間々神明宮:穴原薬師堂から約6キロ車で約10分。
宝徳寺:御朱印と床紅葉~穴原薬師堂から約10キロ車で約20分。
貧乏神追放神社(招福神社)&草木ドライブイン大仏~穴原薬師堂から約20.4キロ車で約30分。
サンレイク草木(日帰り入浴可):穴原薬師堂から約23.6キロ車で約35分。
コメント/口コミ